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デビュー作『レス・ザン・ゼロ』で新世代の代弁者に祭り上げられた20歳の大学生

2023.11.06

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高校時代の同級生たちの生活を描いたブレット・イーストン・エリス


「ロスのフリーウェイって、合流するのが怖いわね」

1985年。そんな台詞から始まる小説『レス・ザン・ゼロ』が発表された。20歳の大学生ブレット・イーストン・エリスが書いたこの作品は、たちまち大きな話題を呼んだ。

NYタイムズは「こんな不穏な小説を読むのは実に久しぶりのことだ」と困惑し、保守的で辛口のニューヨーカー誌は「実に完成度の高いデビュー作」と絶賛。LAタイムズが「これこそ現代の『ライ麦畑でつかまえて』だ」と言えば、ニューズウィーク誌は「『プレッピー・ハンドブック』の汚れた裏の部分」と書いた。

また、淡々と話が描写されていくだけの文体や結局最後まで大したことも起こらない点が「MTV感覚」と呼ばれた。TVモニターから何となく流れているミュージック・ビデオのクールさや虚無感と似ていたからだ(小説には無数のポップソングやアーティスト名も出てくる。文末にまとめ)。

エリスは一躍、アメリカの新しい世代の代弁者に祭り上げられた。それは「ニュー・ロスト・ジェネレーション(あらかじめ失われた世代)」と呼ばれ、新しい感覚を持った書き手たちが続々と衝撃的な文学作品を発表するようになる。1920年〜30年代に「ロスト・ジェネレーション(失われた世代/迷える世代)」と称された作家たち(フィッツジェラルドやヘミングウェイなど)がいたが、まさにその再構築的なムーヴメントだったわけだ。

中でも『レス・ザン・ゼロ』はベストセラーを記録し、LAを舞台にした“カジュアル・ニヒリズム”の金字塔的作品として知られることになった(1987年には映画化)。なお、日本語訳版は中央公論社より1988年に刊行されて92年に文庫化(その後2002年にハヤカワ文庫に移行/中江昌彦訳)。

物語は、語り手の18歳のクレイが東部の大学からクリスマス休暇で故郷のLAに戻って来るところから始まる。冒頭の恋人ブレアの台詞から、この物語が何かとてつもない力を秘めているという予感がしたことを覚えている。

登場人物の多くが映画界の重役の子弟たちで、みんなプール付きの豪邸に住んでいたり高級車を乗り回しているようなリッチに環境にいる。主人公のクレイは恋人ブレアや親友ジュリアンらとその場限りのような空虚な会話を交わしながら、パーティ、ドラッグ、音楽、セックス、クラブ、レストラン、ビーチといった行動や場所を延々とループ(繰り返す)。そこに若さの特権とも言える前向きな姿勢や夢など一切ない。あるのは金と時間だけだ。

多発する犯罪や売春といったLAの汚れた光景や、冷め切った関係の両親や妹たちのせいか、クレイは女の子たちを見ると、“あいつも売りに出ているのか”と思わずにはいられない。そして仲間たちの最悪の事態を期待している自分もいたりする。恋愛にも深入りしない。好きにならなきゃ、苦しまなくてすむ。嫌な思いなんかしたくない。

その反面、高校時代のことや祖父母との想い出は純粋すぎるほど大切に回想もできる。そんな現実と過去を行ったり来たりしながら、クレイは何も答えを出さず、ただ刹那の日々を続ける。そんな束の間の休暇を過ごしたのち、東部の大学生活に戻るためにLAから去って行く。

僕がやりたかったことは、ある限られた社会の中にいる、自分と同世代の人間の生活ぶりをドキュメント・タッチで描くことだった。ビバリー・ヒルズに住む映画関係者の子息たちについて。使い切れないほどの金を持った若い人間たちを描きたかった。


雑誌『Switch』(1988年)でのインタビューでエリスはそう答えている。彼は「高校時代の同級生たちの生活をただスケッチ」した。その恐ろしいほどのリアリティを持つメモや日記が膨大になった頃、それが小説に成り得ると思い始めたエリスは、LAから東部の大学へ進学。小説創作を専攻して目的を実現することにした。

ゼロが何もない中間地点だとすると、彼らには「何か大切なものが自分たちに欠けている」という自覚さえ持っていない、という意味においてゼロ以下だった。「疑問を持つ」という感覚が一切なかった。彼らには生まれた時から金があった。すべてのものを最初から手にしていて、それが当たり前だと思っている。だから反省や自問、疑念の余地なんかない。


“ゼロにも満たない”(レス・ザン・ゼロ)というタイトルはエルヴィス・コステロの同名曲から付けられた。そしてエリスは『レス・ザン・ゼロ』の真髄を自ら指摘。それはパーティシーンでの会話の中にあった。“最初からすべてを手にしている若者たち”のやりとり。

「だってさ・・・」俺は言葉が続かなかった。
「だって、何だよ?」リップが先を聞きたがる。
「だって・・・いいことじゃないぜ」
「何がいいことじゃないぜ、だよ。欲しいものがあれば手に入れる権利はあるし、やりたいことがあればやる権利があるんだよ」
「いるものなんかもうないだろ? すべてを手にしちまってるんだから」俺はそう言ってやる。
リップは俺を睨むと、「持ってないものがあるんだよ」と言う。
俺は間をおいて訊いた。「じゃあ、リップ。何がないって言うのよ?」
「俺は、失ってしまうものを持ってないんだよ」


なお、『レス・ザン・ゼロ』の25年後を描いた続編『帝国のベッドルーム』が2010年に発表された(日本語訳版は2014年に刊行)。クレイはまだ生きていたのだ。


●『レス・ザン・ゼロ』に出てくるアーティスト名/登場順
エルヴィス・コステロ、イーグルス、デヴィッド・ボウイ、ジョーン・ジェット&ザ・ブラックハーツ、キラー・プッシー、イングリッシュ・ビート、ボブ・シーガー、トム・ペティ、スペシャルズ、ビリー・アイドル、サイケデリック・ファーズ、ブロンディ/デボラ・ハリー、デュラン・デュラン、フリートウッド・マック、オインゴ・ボインゴ、エックス、レッド・ツェッペリン、ミッシング・パーソンズ、ストレイ・キャッツ、ヒューマン・リーグ、ゴーゴーズ、B-52’s、スパンダー・バレエ、アダム・アント、ポリス/スティング、アイシクル・ワークス、XTC、フランク・シナトラ、ピーター・ガブリエル、スクイーズ








*このコラムは2015年12月に公開されたものを更新しました。

(映画版のコラムはこちら)
レス・ザン・ゼロ〜青春文学と映画に衝撃を与えたカジュアル・ニヒリズムの極致

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