「何でもやったし、すごく一所懸命働いたよ。ファンが1人もいない時に、屋根の上から大声で宣伝した。頭がおかしいと思われても、ずっと叫び続けたよ。」
これは“ビートルズを売り出した男”として知られる彼の言葉だ。
1967日8月27日、ビートルズの敏腕マネージャーのブライアン・エプスタインはロンドンの自宅のベッドの上で死体となって発見された。享年32。
この日ビートルズの4人は、北ウェールズのバンゴールで超越瞑想の指導者マハリシ・マヘーシュ・ヨーギーの講義を受けている最中だったという。
ジョンは、彼の死を振り返りながらこんなコメントを残している。
「エプスタインが死んだ時、もうビートルズは終わったと思った。」
実質、彼の死はビートルズにとって致命的な痛手となった。
この“ブライアンの死”がなければ、ビートルズのメンバーもあれほど“後味の悪い解散”をしなくて済み、もっと違った形でグループの終焉を迎えられたのではないか?とも言われるくらいに、彼はバンドにとって“必要な存在”だった。
リーゼントに革のジャンパー、そして細身のジーンズという不良っぽいいでたちでアメリカのロックンロールをがなりたてていたビートルズにスーツを着せて売り出し、メンバーと共に世界中を駆け巡った彼。
ビートルズがコンサート活動を休止した事でマネージャーとしての仕事が減り…大きな疎外感、喪失感を感じ始めた彼はドラッグに溺れていったという。
彼がビートルズに及ぼした偉大な功績は、多く知られていることだろう。
では、いったい彼はどんな状況で死んでいったのだろう?
彼の秘書を務めていたジョアン・ニューフィールドは、彼の死体が発見される前日(日曜日)の午後、自宅にかかってきた電話に胸騒ぎを覚えたという。
電話は、彼が所有していたロンドンの家にいる家政婦マリアからだった。
「連休のところ電話をして申し訳ないのですが…」と、彼女に告げてきたという。
ブライアンが金曜の午後、突然帰ってきて、車を道路においたまま、寝室に鍵をかけて閉じこもったままだというのである。
マリアとその夫であるアントニオ(執事)は、朝方になってブライアンの部屋のドアをノックして朝食をすすめたのだが、返事はなかったという。
「ブライアンが日曜の昼まで寝ていたって異常じゃないわ。大丈夫よ。」
彼女は、そう答えてマリアとの電話を切った。
しかし…電話を切った直後に彼女は“虫の知らせ”を感じ、同じくブライアンの個人秘書(後のアップルの総支配人)だったアリステア・テイラーにも電話した。
「彼の自宅に行ってみるつもりだけど、一人じゃどうも…。あなたも来てくれない?」
そして数時間後…エプスタイン邸にはジョアンが手配した医師が到着し、彼女と執事のアントニオは、彼の寝室のドアの前に立っていた。
ノックをしても、やはり物音1つしなかった。
「ドアを破りましょう!」
彼女の指示で、アントニオと医師はドアに体当たりをした。
医師が中に入る。
アントニオがそれに続いた。
しかし、彼女は入ろうとはしなかった。
室内は暗かった。
エプスタインはベッドの上で窓を見るように横向きに寝ていた。
パジャマを着ている。
そばには開封された郵便物(映画『イエロー・サブマリン』の仮台本等)があった。
サイドテーブルにはレモンが入ったコップと薬瓶。
午後2時45分、医師は言った。
「彼は死んでいる…。」
アリステア・テイラーが遅れて到着した。
マハリシのもとで“瞑想”を学んでいたビートルズのもとにも電話がかかる。
当然ながらメンバー達は物凄いショックを受ける…しかし、そんな状況の中、彼らはマハリシからこう言われたという。
「彼に素晴らしいエネルギーを送ってあげることしかありません。それ以外にできることはないでしょう。瞑想して気分をよくする。それ以外にありません。」
当時、エプスタインの家族から、ビートルズの反応があまりにも冷た過ぎるという発言があったようだが、それにはマハリシの影響も相当あったのは事実のようである。
ビートルズの中で誰よりも衝撃を受けていたのはジョンだったという。
「これからは、僕らがマネージャーの役を務め、決断を下さねばならない。これまでも行動の責任はあったけれど、そこにはいつも彼の存在があった。」
「僕らは音楽以外にはなんの才能もないと思っていたから…恐ろしかった。『これで僕らもおしまいだ』そう思ったよ。」
1967年9月8日。
ロンドンでエプスタインの死についての審問会が開かれた。
検死解剖報告は、病理学者R・ドナルド・ティア博士によって行われた。
検死の結果、エプスタインの血液中から168ミリグラムのブロマイドが検出され、ペントバルビトン、アミトリプチリンも確認された。
また、血液中のブロマイド数値はきわめて高く、カルブリタールを長期服用することによってのみ起きる状態にあり、ブロマイド中毒寸前の状態にあった。
ブロマイド値が上がると注意力散漫になり、思考力が低下するといわれている。
死因はカルブリタール中毒によるものとされた。
それは、エプスタインの死が偶発的な“事故死”であることに疑問の余地はないというものであった。
もし自殺ならば、薬を一度に大量摂取するはずだが、彼の場合、そうした兆候は見られなかった。
ただ、薬を飲むことに慣れてしまい“不注意な投薬量の増加”の傾向があったのは確かだった。
エプスタインが亡くなった当時、ビートルズはマハリシの「超越的瞑想」に夢中になっていた。
リンゴは、当時のことを振り返りながらこんなコメントを残している。
「あの頃、僕は自分について『僕の存在とは一体何なのか?そして世界とはなんなのか?』色々と考えていたんだ。」
ビートルズの一員になるや、普通ではあり得ないほどのスピードで、頂点に上りつめてしまった若者としては、当然のことだったのかも知れない。
ビートルズの中では、ジョージが最初にこれに興味を示した。
そして、ジョージが絶賛したマハリシの教えに他のメンバーも関心を寄せた。
だが、もっとも真剣にマハリシの言葉を聞いていたはずのジョージは、後に当時のことをこう語った。
「どうしていいかわからなかった。僕らは迷子になってしまっていたんだ。」
ブライアン・エプスタインがこの世を去った1967年8月27日。
それは“ビートルズの崩壊が始まった日”とも言われている。