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エディ・コクランを偲んで〜ロックンロール草創期の大スターが遺した足跡と功績

2025.04.17

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1950年代、アメリカでは幾人かの“ロックスター”が誕生した。その中でも70年代までスターであり続けたのは、エルヴィス・プレスリーただ一人だけだった。

50年代に活躍したスターたちは、奇しくもそろって悲劇的な事故により夭逝し、“伝説”として語り継がれる存在となった。バディ・ホリー、リッチー・ヴァレンス、ザ・ビッグ・ボッパー(ジャイルス・ペリー・リチャードソン)…そしてエディ・コクランもその一人だった。

今日は21歳の若さで他界したエディ・コクランを偲んで、その功績と足跡をあらためてご紹介します。


1938年、エディ・コクランはアメリカ中部のミネソタ州にあるアルバート・リアという小さな町で生まれた。5人兄弟の末っ子として育ち、12歳の時に学校のオーケストラに入る。そこでトロンボーンを担当するうちに音楽に目覚め、家にあったギターをいじりだす。

13歳の頃に一家でカリフォルニアに移住し、そこで音楽仲間を見つけてカントリーバンドを始めると、チェット・アトキンスのプレイに衝撃を受けてプロミュージシャンになることを決意。

1955年、17歳の時に学校を辞め、ハンク・コクランと共にコクラン・ブラザーズを結成し、翌年にはマイナーレーベルからのレコードデビューを果たす。(ちなみに相棒のハンク・コクランは、ファミリーネームが同じなだけで血縁関係はない)

時を同じくして、エルヴィス・プレスリーが白人のカントリーと黒人のR&Bを融合した新しい音楽スタイル“ロックンロール”を打ち出し、一般家庭にも普及し始めたテレビの番組出演を通じて大きな注目を集めていた。

その頃のエルヴィスと言えば、PTAや宗教団体から激しい非難を浴びせられながらも、若者たちの心を鷲掴みにしていた。エディ・コクランもまた、そんなエルヴィス旋風に魅せられた一人だった。

翌1956年、コクラン・ブラザーズの活動ではなかなかヒットに恵まれない中、人生を一変させるような出演オファーが届く。それは映画『The Girl Can’t Help It(女はそれを我慢できない)』の演奏シーンへの出演依頼だった。

これは、当時セクシー女優として名を馳せていたジェーン・マンスフィールドが主演する映画で、エディはエルヴィスに扮して「Twenty Flight Rock」を演奏するパフォーマンスで一躍大きな注目を集める存在となったのだ。


この映画出演をきっかけに、19歳でリバティー・レコード(現在のEMI傘下メジャーレーベル)と契約を結び、後に自身の代表曲となる「C’mon Everybody」、ザ・フーが世界中に広めることとなる名曲「Summertime Blues」など、次々とヒット曲を連発する。

当時、アメリカ以上にイギリスでの人気が高く、若かりし日のビートルズやローリング・ストーンズの面々にも多大な影響を与えた。次第にエルヴィスに続く“新世代のヒーロー”と呼ばれるようになっていく。


そんな中、悲劇が起こる。1959年2月3日、親友でもあったバディ・ホリーをはじめ、リッチー・ヴァレンス、ザ・ビッグ・ボッパーといった当時の人気ロックンローラー3人がツアー先の飛行機事故で命を落とす。

当初、そのツアーに参加する予定だったエディは大きなショックを受け、しばらくの間ステージに立つことをやめてスタジオワークに専念したいと考えるようになる。

当時のツアーは、ロックスターと言えども、今とは比べものにならないくらい過酷な日程で組まれていたのだ。しかし、エディには1960年2月から「Be-Bop-A-Lula」で知られるジーン・ヴィンセントらとともにヨーロッパを回る大規模なツアーの契約が残っていた。

ためらいながらもスタートさせたツアーは各地で熱狂的に迎えられる。イギリスではビートルズのジョージ・ハリスンがツアーの“追っかけ”をしたという話や、エディを崇拝していたマーク・ボランがローディー役を申し出たというエピソードも残っている。

旅先で精神的にも肉体的にも疲れ切っていたエディは、婚約者でソングライターのシャロン・シーリーとジーン・ヴィンセントともに数日間の休暇を取って、一時帰国することを決める。

イギリスのホテルから母親に「今回の休暇を終えてあと10週間だけステージをこなせば、もうツアーに出なくてもいいんだ!」と電話で伝えたという。

そして4月16日、3人はいったんアメリカに帰国するため、タクシーに乗り込み空港へと向かっていた。彼らを乗せた車のタイヤが突然バーストし、そのまま激しく街灯に衝突する。(※事故原因について「雨でタイヤがスリップした」「街路樹に衝突した」とされている説もある)

シャロン・シーリーとジーン・ヴィンセントは骨折はしたものの一命をとりとめる。事故の衝撃で車外に投げ出されたエディは脳挫傷を負い、搬送された病院で翌4月17日に息を引き取った。

─メジャーデビューから悲劇的な交通事故で他界するまで、本格的な活動期間はわずか3年だった。その夭逝から半世紀以上経った今でも、エディ・コクラン自身がプロデュースや作曲で関わった数々の名曲と共に、“伝説のロックンローラー”として愛され続けている。


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