1944年6月24日、彼はイングランド中西部の都市ウォリントンで産声をあげる。
いわゆる中流家庭に生まれた彼だったが、当時はまだイギリスも戦時中だったため、彼は食べ物など配給制度の下で幼少期を過ごしたという。
「フィッシュ&チップスが定番だったよ。ビスケットやチョコレートなどの甘いお菓子はあまり食べたことがなかった。戦争の爪痕は街のあちこちにあった。道路に残る穴、原っぱに散乱した鋭利な鉄クズ、今にも壊れそうな建物など。」
当時一家が暮らしていた家は、中流家庭では一般的とされていたセミダッチハウスという二軒が連なった二階建ての長屋だった。
けっして広い敷地ではなかったが、しっかりと駐車場のスペースも確保されており、1940年代では珍しくマイカーがあった。
さらに彼の家のリビングでは母親のベビーグランドピアノがスペースを占領していて、かなり手狭に生活していたという。
「母のピアノは上手いもんだったよ。姉と俺の子育てで忙しかったから少し腕は鈍っていたらしいけど、毎日聴いていて楽しかったのを憶えているよ。」
6歳になった彼は地元の私立小学校に入学する。
彼はこの頃から初めての楽器となるピアノのレッスンを受けることとなる。
しかし長くは続かず…彼が次に手をつけた楽器はヴァイオリンだった。
「8歳の時に叔父のコレクションを見つけてね。絶対に開けるなと言われていた箱に、ヴァイオリンが6本も入っていたんだ。叔父は箱を開けた俺を怒りつけた後に“じゃぁ稽古してみるか?”と言ってくれたんだ。」
ピアノの時と同じく、ヴァイオリンも長くは続かず、次にチェロへの移行もはかったが…結果は似たようなものだったという。
「弓がどうしても苦手でね。弦を見るとどうしても弓で奏でるのではなく、指で弾きたくなってしまうんだ(笑)叔父は呆れていたよ。」
彼の叔父はいつもパイプをくわえている男で、結婚もせずにヴァイオリンと車のマニアだった。
幼い彼は、そんな叔父に憧れていた。
「週末になると叔父が俺を預かってくれて、オープントップの1497年MG(TC)に乗せてドライブに連れて行ってくれるんだ。一般道で120キロも出すんだぜ!(笑)叔父と過ごす時間が最高の楽しみだったよ。」
そんな叔父の影響を受けて、9歳になった彼はクラシックスポーツカーの虜になる。
「俺の部屋にはホットロッド、フォードのA型B型、そしてT型改造車の写真が壁一面に貼り付けられていた。エンジン音、流線型のボディー、白煙をあげるタイヤ…車への永遠の恋が始まったんだ。」
時を同じくして、彼は父親のレコードコレクションにも興味を持つようになる。
ファッツ・ウォーラーやアート・テイタムの曲を聴きながら、特にドラムのリズムに胸をときめかせたという。
「ドラマーがやっていることは、すぐにつかめたんだ。10歳の頃に手に入れたドラムセットで何度も何度もそれらの曲に合わせて叩き、ついにはほぼレコードと同じように叩けるようになった。」
12歳になった彼はジュニア・アート・スクールに通い始める。
同時にロックン・ロール、ロカビリーに興味を持ち始めた彼は、友人から古いガットギターをゆずってもらい、必死に練習に励んだという。
ピアノやヴァイオリンの時とは違い、ギターにのめり込んでゆく息子の姿を見て、母親は彼に25ポンドのエレキギター(グヤトーン)を買い与える。
「ちょうど俺が12歳の時(1956年)、ビル・ヘイリー&ヒズ・コメッツの“Rock Around the Clock”がイギリスに上陸してきたんだ。エルヴィス・プレスリーの登場もその頃だった。とにかくアメリカからやってきたそれらの音楽は衝撃的だったよ。同じ時期にスキッフルの第一人者ロニー・ドネガンの“Rock Island Line”も流行っていて、イギリス中のティーンエイジャーたちがスキッフルバンドを組んで音楽に熱狂していたんだ。」
それらの音楽に刺激を受けながらも、彼には人生を一変させたアーティストがいたという。
1957年、13歳になった彼はある日、母親と映画館で『The Girl Can’t Help It(女はそれを我慢できない)』という映画を観る。
彼はその作品にカメオ出演していたミュージシャンたちの虜になったのだ。
「リトル・リチャード、エディ・コクランも良かったけど、何よりも俺のハートに火をつけたのがザ・ブルー・キャップスを率いるロックンローラー、ジーン・ヴィンセントだった。彼の声は獣の雄叫びのようだった。バンド編成はエレキギター、アコギ、ドラムス、アップライトベース。これぞストリートロックンロールって感じだったね!」
ジーン・ヴィンセントのヒット曲「Be Bop A Lula」にロックンロールの洗礼を受けた13歳の少年は、この日からロックギタリストとして世界的な成功を手にする“未来”へと歩み始めたという。
彼はのちに、同曲から受けた衝撃についてこんな風に語っている。
「まず歌の音域が高いったらありゃしない。まるでどっかの頭のおかしい奴が高音の限界に挑戦しているみたいだった。そしてギターまでがソロを二つも“叫ぶ”じゃないか。これが俺の居場所だと思ったね!」
<引用元・参考文献『ジェフ・ベック ―孤高のギタリスト[上] [下]』マーティン・パワー(著)細川真平(監修)前むつみ(翻訳)/ヤマハミュージックメディア>
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