♪古いオークツリーに
黄色いリボンを結んでおくれ
長い3年だった
君はまだ僕を必要としていてくれるかい
もし古いオークツリーに
黄色いリボンがなかったら
僕はこのままバスに乗っている
君とのことも忘れよう
僕のせいなんだから
もし古いオークツリーに
黄色いリボンがなかったらね♪
刑務所から故郷へ戻る途中の男の心情を描いた物語。
トニー・オーランド&ドーンの「幸福の黄色いリボン」は1973年、全米最大のヒット曲になりましたが、物語はその2年前、作家でジャーナリストのピート・ハミルがニューヨーク・ポスト紙に発表したものでした。
新曲を書こうとしていた作詞家のアーヴィン・レヴィンと作曲家のラッセル・ブラウンはこの物語に飛びつきます。しかし、オークツリー(ブナ科の樹木)に結わいつけらるハンカチはリボンに変えられました。
おそらく、彼らの頭の中には、1949年。ジョン・ウェインが主演した映画「シー・ウォーズ・ア・イエロー・リボン」のイメージがあったのでしょう。
♪バスの運転手さん
僕のかわりに見てくれないか
とても僕には見られそうにない
僕はいまでも檻の中にいるようなもの
愛する彼女だけが鍵を持っているんだよ
手紙で彼女に頼んでおいた
黄色いリボンが見られたら
僕はやっと自由になれるのさ♪
ピート・ハミルが書いたこの物語は元々、アメリカ国内で語り継がれていた「物語」です。刑期を終えた男はバスではなく、列車に乗っていたとされていました。またオークツリーはリンゴの木で、黄色ではなく白いリボンを結んでおいてほしい、というように微妙な違いがあります。
しかし、「幸福の黄色いリボン」の大ヒットのおかげで、待ち続ける愛の証は、イコール、黄色いリボンとなったのです。
1979年、テヘランのアメリカ大使館が占拠された時、捕虜となった夫の無事の帰還を祈った妻たちは、家の木に黄色いリボンを結びました。
また、教会では、聖書の「放蕩息子の帰還」のエピソードに合わせて、この物語が説教されることがあるといいます。
残念ながら、健さんはもう帰ってきません。
僕らにできることがあるとすれば、映像の思い出という名前のバスに乗り、健さんという故郷に帰ることだけです。きっと健さんははにかみ、黄色いリボンを結びながら、僕らを待っていてくれることでしょう。