ディープ・パープルが1972年にリリースしたライヴ・アルバム、『メイド・イン・ジャパン』が世界的なヒットとなって以来、日本では来日公演をライヴ・アルバムにすることがちょっとした流行りになっていた。(詳しくはこちらのコラムへ)
このアルバムこそ「ライブ・アット・武道館」のさきがけで、いつか、俺もああいうの作りたいという目標でもありました。
CBSソニーでA&Rをしていた野中規雄氏もライブ・アルバムを作ることを考えて、77年のエアロスミス来日に合わせて企画を提案したものの、バンド側から断られたことがあった。そして彼が担当していたアーティストの中には、チープ・トリックというアメリカのバンドがいた。
リック・ニールセンとトム・ピーターソンがバンドを組んだのは1968年頃で、グリム・リッパーズという名前でスタートしたが、なかなか成功を掴むことが出来なかった。何度もバンド名を変えたり、メンバー・チェンジを繰り返しながら、チャンスを待つ日々が続いた。
流れが変わったのは1973年のこと。ドラムのバーニー・カルロスとボーカルのランディ・ホーガンが加わって、翌年にはボーカルがロビン・ザンダーに代わり、チープ・トリックというバンドの体制が整った。
それからさらに2年の時を経て1976年になって、ようやくエピック・レコードと契約して2枚のアルバムをリリースした。だが、デビュー・アルバムはチャートインすらできず、セカンド・アルバムも全米チャートの73位止まりだった。
本国のアメリカではまったくヒットしていなかった彼らを高く評価していたのが、「ミュージック・ライフ」と「ロッキング・オン」という日本の音楽誌だった。それを知って自信をもった野中氏は、チープ・トリックを大々的に宣伝する。
カッコイイふたりとカッコ悪いふたりのヴィジュアル対比が面白かったし、音楽はビートルズの流れを汲むメロディアスなパワー・ポップ。甘いルックスのロビン・ザンダーを、「青いりんごのような」と形容して宣伝しました。
すると、若い女性を中心にアルバムがヒットして、1978年には武道館を含む初来日コンサートがトントン拍子で決まった。
野中氏がそのコンサートを録音して、ライヴ・アルバムとして日本で発売したいと企画を立てると、バンド側もこれを了承して、念願のライヴ・イン・ジャパンに向けて計画は順調に進んだ。
アメリカでは前座バンド扱いにすぎないチープ・トリックに、武道館という大舞台が務まるのかと不安視する声もあった。しかし、レコーディングする件も含めて、バンド側には不安も気負いもなかったという。
それはチープ・トリックが、長い下積み時代の中で数え切れないほどライヴをこなし、自分たちのステージに確固たる自信を持っていたからだろう。
「テープに録ることは知っていたけど、正直なところ、プレッシャーはほとんど感じなかったよ」(リック・ニールセン)
予想だにしなかった熱狂的な歓声にも浮足立つことなく、いざ本番を迎えても、彼らは見事に来日公演を成功させた。
そうして日本限定で『チープ・トリックat武道館』がリリースされたのは、1978年10月8日のことだった。
エアロスミスにも提案したけど断られてまして。チープ・トリックの場合は、女の子たちの記念品になればいいな、と思っていました。実際に作って出して、5〜6万枚売れたからいいやと思っていたら、年が明けてアメリカからバーンと注文が入って、そのうちにアメリカでもこれをリリースするとか言い出して。何が起きているんだ!?って思った。
アメリカで評判になったきっかけはラジオだった。メンバーの友人だったDJが、ラジオで「ビートルズの再来!」という紹介で「甘い罠」を流すと、ラジオ局にリクエストが殺到した。
そうした反応から日本からの輸入盤としてレコードが流通し始めた後、エピックから正式にリリースされた『Cheap Trick at Budokan』は全米4位のヒットを記録したのだ。
その勢いは世界にまで飛び火して、アルバムはトータルで約400万枚を売り上げて、チープ・トリックは武道館でのライブによって世界的なメジャー・バンドへと躍進する。
野中氏によれば、武道館公演が実現したのは、応援してくれる人たちの存在があったからだという。
日本での成功に多くの人とメディアの応援があった中で特に挙げるとするなら、ミュージック・ライフの東郷元編集長と、初来日を武道館なんて暴挙を決断した元音楽舎の上野さんだ。この2人がいなければ「at 武道館」は実現していなかったしチープ・トリックの「ロック殿堂入り」も果たしてあったかどうか。
(注)野中氏の発言はブログ「レッツゴー!洋楽研究会」および「【エンタメステーション】ニッポンの洋楽の立役者たち A&R・野中規雄インタビュー」よりの引用です。
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参考文献:「『at武道館』をつくった男」和久井光司著(アルテスパブリッシング)
参考サイト:レッツゴー!洋楽研究会、【エンタメステーション】ニッポンの洋楽の立役者たち A&R・野中規雄インタビュー