1961年2月8日、ヴィンス・ニールは、カリフォルニア州ロサンゼルスのクイーン・オブ・エンジェルス病院で生まれた。父親のルーツはネイティヴアメリカン、母親はメキシコ人と白人のハーフだったので、自分の身体には複雑な血が流れてるという。
「俺のことを2人種か3人種が混ざっているという奴もいるけど、俺は自分を“カリフォルニア人”だと思っている。フルーツ(ゲイの隠語)とナッツ(頭がおかしい人)が豊かな土地カリフォルニアで生まれたんだから、良かれ悪かれ特別な種族なんだ」
生後6週間の時に、一家は父親の仕事の都合でユタ州のモアブという街に移り住むこととなる。グラスファイバー関連の仕事をしていた父親は、会社からの期待も大きく、数週間の単身出張だったはずが簡単には帰れなくなり、急遽妻と幼い息子を呼び寄せ、最初はモーテルの一室で生活をしていた。
数ヶ月後に戻れることとなった一家は、カリフォルニアでも治安が良くないと言われている地区、イングルウッドやワッツを転々とする。当初、母親は専業主婦として育児に専念していたが、娘(16ヶ月歳下の妹)の手がかからなくなったタイミングで、家計を助けるために化粧品の製造工場で働き始める。
小学生だったヴィンスは、その治安の悪い町で様々な“危険な遊び”を覚えていく。BB弾を詰めた空気銃で撃ち合いをして、体のあちこちにミミズ腫れを作り、時には血を流して家に変えることもあった。友達の中には、小学6年生ですでにギャングの仲間入りをして、ナイフを持ち歩いている者もいた。
「危険なことも好きだったけど、それよりも俺は野球が大好きだった。ドジャースに憧れてリトルリーグでプレイしたんだ。父親と一緒に楽器屋に行ったことも憶えている。俺に最初のギターを買ってくれたのは父親だった」
母親は当時のことを鮮明に憶えている。
「ある程度の年齢になると、ヴィンスは口パクで歌まねをするようになりました。ロッド・スチュワートの“Hot Legs“など、曲に合わせて上手に歌い踊るんです。目立ちたがり屋で、中学生になる頃には女の子たちを家に連れてくるようになりました」
一家は最終的にロサンゼルスの東に位置するグレンドラ(Rout66が通る町)に落ち着き、ヴィンスはそこで中学・高校へ通う。不良仲間とつるんで学校をサボり、サーフィンに夢中になり、高校生になると今度はバンド“ROCKANDI(ロックキャンディ)”を組んで音楽活動を始めた。
「音楽の影響は両親からだった。俺の父親はジョニー・キャッシュとCCRが好きだった。母親はモータウンのレコードをコレクションしていて家でしょっちゅうかけていたんだ。スティーヴィー・ワンダー、マーヴィン・ゲイ、アル・グリーン、フォー・トップス、さらにはマーブル・ジョンやメアリー・ウェルズ、バレット・ストロングといった初期のものまで」
ROCKANDIのメンバーは皆16歳。初めてのライブは、ヴィンスの自宅の裏庭でやったパーティーだった。レパートリーはすべてカヴァー曲で、エアロスミス、チープ・トリック、AC/DC、レッド・ツェッペリン、バッド・カンパニー、ブラック・サバス、ZZトップなどなどハードロックを中心に選曲し、近所に住む中学生や高校生を前に披露した。
「それは俺の人生の中で最高と思えること全ての入り口だった。ライブのハイライトではブラウンズヴィル・ステーションのヒット曲“Smokin’ in the Boys’ Room”を歌って、パーティーに集まった400人をノリノリにさせたよ。ギャラは一人100ドルだった。騒音で通報されて、警察がやってきてパーティーは強制終了になったけどね(笑)」
<引用元・参考文献『ヴィンス・ニール自伝』ヴィンス・ニール (著)マイク・セイジャー (著)迫田はつみ(翻訳)/シンコーミュージック・エンタテイメント>

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