1997年5月29日に30歳という若さで急逝したジェフ・バックリィ。
残したスタジオ・アルバムは1994年に発表した『グレース』1枚だけだが、天性の歌声とボブ・ディランが「10年に1人」と称した類まれなソングライティングの才能によって、今も多くのミュージシャンたちに影響を与え続けている。
そんなジェフが亡き父、ティム・バックリィのトリビュート・コンサートに出演したのは1992年のことだった。
父のティムもまた、60年代後半のアメリカで名を馳せたロック・ミュージシャンの1人だ。
ジェフの母と結婚したのはミュージシャンを目指す学生だった18歳の時、だが2人の夫婦生活はわずか1年で終わりを迎えてしまう。ジェフが生まれたのはそれから1ヶ月後のことだった。それゆえ、幼いジェフが父の手に抱かれることはなかった。
一方のティムはエレクトラ・レコードと契約を交わし、1966年にレコード・デビューを果たす。
父と子が初めて会ったのは1975年、ジェフが8歳のときだった。しかし、それから数カ月後にティムはドラッグの過剰摂取により、28歳の若さでこの世を去ってしまう。
葬儀には親族と友人を合わせておよそ200人が集まったが、そこにジェフの姿はなかった。ジェフによれば、どういうわけか葬儀に呼ばれなかったのだという。父の葬儀に参列できなかった、そのことがジェフの中でずっと心残りとなった。
ティム・バックリィのトリビュートコンサートに出演してくれないか、という連絡がきたのはジェフが24歳のときだ。
ミュージシャンとしての成功を目指していたジェフにとって、コンサートへの出演はまたとないチャンスだった。だが、父との関係をダシにして自分の名を売るというのは嫌だったし、そう見られることも嫌だった。それでも出演を決めた理由について、ジェフはこう言葉を残している。
「父に敬意を払うまたとないチャンスだと気づいたんだ。まだ気持ちの整理はついてなくて、彼に対する複雑な感情や苦しみ、怒りはあったけどそんなのは関係なかった」
ティムのトリビュート・コンサートは1991年4月26日、ニューヨークのブルックリンにある教会で催された。息子のジェフがサプライズで登場すると会場からは声援が送られた。とはいってもミュージシャンとしては無名の新人、多くの観客がそのステージを温かい目線で見守っていたことだろう。
だがジェフが歌い始めると、会場の空気は一変した。ティムさながらの透明感ある美しい声、そして聴くものの心を揺さぶるような力強く繊細に響く歌に観客は圧倒され、曲が終わると割れんばかりの歓声が湧き上がった。
ジェフはMCもほとんど挟まず立て続けにティムの歌を3曲歌いきり、最後に「Once I Was」という歌を歌う。それは母が最初に聴かせてくれた父の歌だった。
「僕は泣かずにフルバージョンを歌えないんだ。ステージでも泣いてしまったしね」
このコンサートによって“ジェフ・バックリィ”の名は広く知れ渡ることになり、翌92年に大手レコード会社のコロムビアとの契約を交わすのだった。
ジェフがこの世を去ってから長い月日が経ったが、「Once I Was」を今になって聴いてみると、それはジェフ自身の言葉のようにも聴こえてくる。
時々でいいんだ
もし嫌でなければ
ほんの少しでいいから
僕のことを思い出してくれないか
Jeff Buckley / Once I Was (Live At ‘Greetings from Tim Buckley’ 1991)
(2013年11月26日公開/2015年5月29日改訂)
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