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音故知新①〜カントリーミュージックが生まれた場所

2023.07.25

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「カントリーミュージックのルーツをさかのぼると、アイルランドやスコットランドからアメリカ東部の僻地山岳帯アパラチアに入植した移民たちの歴史に辿り着く…」


まず、「カントリーミュージック」という呼び名は1940年代に入ってから用いられるようになったという。
日本が敗戦した第二次世界大戦後にアメリカの音楽産業は再編成され、ヒルビリーなどのマイナーな音楽もこれまで以上に全米のラジオ番組で放送されるようになる。
ところが、もともとアパラチア山脈周辺に住む山岳民に対する蔑称(差別用語)だった「ヒルビリー」という呼び方を嫌う演出家やメディアも現れ、当時はこのジャンル名をめぐる混乱がおきていた。
アパラチアンミュージック、マウンテンミュージック、カントリー&ウエスタン…その呼び方は様々だった。
カントリーミュージックの最初の商業録音(レコード作品)といえば、1923年にフィドリン・ジョン・カーソンという音楽家による「The Little Old Log Cabin In The Lane」という楽曲だと言われている。
フィドリン・ジョン・カーソンといえば、ブルースの最初のレコード作品をリリースしたオーケー・レーベルとも深く関わりのある人物である。
このカントリーミュージックとブルースの“初のレコード作品”に関しては、同レーベルのプロデューサー、ラルフ・ピアというと男が重要な役割を果たしたと言われている。

またカントリーミュージックの中心的都市といえば、一般的にテネシー州のナッシュビルを思い浮かべる人が大多数だと思うが、実は発祥地は同じテネシー州にあるブリストルという小さな町なのだ。
1927年にジミー・ロジャースやカーターファミリーが、この町にあったスタジオで録音したことをきっかけに、現在もブリストルの町はbirthplace of country music(カントリーミュージック発祥の地)と呼ばれており、今では“カントリーミュージック発祥の地同盟”なる組織も存在している。



では、何故ナッシュビルがカントリーミュージックの聖地などと言われるようになったか?
それはWSMという小さなラジオ局がこの町にあったことに端を発する。
開局は1925年、このラジオ局で毎週末に生放送された『バーンダンス・ショウ』という番組の登場がカントリーミュージックをアメリカ全土に広げるきっかけをつくる。
バーンダンスとは“納屋で行われる踊り”という意味を持つという。
このラジオ番組は後に『グランド・オール・オブリー』と名前を変え、カントリーミュージックの歴史そのものを体現する存在となる。
同番組はアメリカ最古の長寿番組として多くの音楽ファンから愛され、現在も放送されている。
──カントリーミュージックが生まれた場所を問われれば「アパラチアの山岳地帯」と答えるのが正解なのだろうが…この音楽に関しては、土地や年代を特定せずに「アメリカ人の心の中にある大切な場所」と答えても良いのではないだろうか?
その経緯と変遷は、TAP the POPのアイリッシュ特集のコラムに詳しくまとめられているので是非ご覧下さい。

【黒人の“ブルース”に呼応したアイルランド系移民の“ハイロンサム”】
http://www.tapthepop.net/extra/8023
【みんなアイリッシュだった~アイルランド系特集】
http://www.tapthepop.net/special/irish




【佐々木モトアキ プロフィール】
https://ameblo.jp/sasakimotoaki/entry-12648985123.html

【TAP the POP佐々木モトアキ執筆記事】
http://www.tapthepop.net/author/sasaki

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