「本物の音楽」が持つ“繋がり”や“物語”を毎日コラム配信

TAP the POP

新着

TAP the CHANGE

ビートルズ映画から始まった出会いの連続の中で培われた石田長生の感性

石田長生が最初に衝撃を受けた音楽は、動いている映画のビートルズだった。 小学6年生のときに、映画『ビートルズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!』を観にいって、「お…

Extra便

追悼・石田長生~偉大なるミュージシャンズ・ミュージシャンにしてプロデューサー

石田長生さんの訃報がツイッターやFBで2015年7月8日の朝から流れて、HPを訪れてみると確かにその事実が告知されていました。 ご報告。かねてから闘病中でした石…

TAP the SCENE

バック・トゥ・ザ・フューチャー〜1955年のあのパーティでロックの歴史が変わった

『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(BACK TO THE FUTURE/1985) 2015年10月21日は、マーティと彼のガールフレンドのジェニファー、そし…

Extra便

追悼・相倉久人 大瀧詠一とのナイアガラ対談で発表された「分母分子論」

1983年の11月から12月にかけて雑誌『FMファン』での対談で、大瀧詠一の「分母分子論」は発表された。 それはジャズ評論家の相倉久人を先生として、生徒の大瀧が…

TAP the LIVE

日本のジャズメンを育てたのは銀座のシャンソン喫茶だった

戦後、ジャズの中心地となったのは銀座だった。 GHQ本部が有楽町駅近くだったこともあり、この地域には外国人向けのクラブが多く生まれ、ジャズ以外にもシャンソンやカ…

TAP the STORY

シド・バレットとロジャー・ウォーターズ〜“月の裏側の住人”となった男に囚われて

シドを失い、ロジャーが牽引したピンク・フロイドの狂気 2005年7月2日、午後10時57分。ロンドンのハイド・パークに集まった20万人近い観衆を、聞き覚えのある…

TAP the SONG

さだまさしにとって歌の原点となっ六・八コンビによる「生きるものの歌」

永六輔が歌手としてデビューしたのは1974年の夏のことだ。そのときに先行シングルとして発売されたのが「生きているということは」だった。 〈参照コラム 追悼・永六…

TAP the SONG

ロックになったRCサクセションの「上を向いて歩こう」に驚いた作詞者の永六輔

1961年7月21日の夜、世界の音楽史に残るひとつの歌が東京・大手町にあったサンケイホールで誕生した。 永六輔作詞、中村八大作・編曲、19歳の坂本九が歌った 「…

TAP the DAY

永六輔さんを悼んで~「本当に死ぬまでは、どんな歌もまだ生きている」「死んだ人たちも、人の記憶の中では生きている」

永六輔は常々、「人の死は一度だけではありません」と語っていた。 人は死者と共に生きている。死んだ人たちも、人の記憶の中では生きている。しかし、人は歳月とともに少…

TAP the DAY

リンゴ・スターが加わってビートルズ=Fab Four(ファブ・フォー)の歴史が始まった日

1962年8月18日、マージー川をはさんでリヴァプールの対岸にあるバーケンヘッドの町で、地元園芸協会の17周年を記念するダンスパーティーがあった。 その夜の10…

TAP the SONG

「遠くへ行きたい」~わかりやすい話し言葉で人の気持ちを伝える歌を残した永六輔

20世紀はラジオやテレビといった放送メディアが発展したことや、レコードの製造や再生機の普及などによって、音楽の表現領域とその影響力が大きく拡がった。 そんな時代…

TAP the STORY

リンゴ・スターが27歳のときに出会って救われたマハリシの「超越瞑想」

ビートルズの初期を振りかえって、リンゴ・スターはこんなふうに語っている。 バンドを始めた頃は、いい音楽を作ることだけが目的だった。僕がビートルズに入りたかった理…

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