2019年に13年ぶりにニューアルバムをリリースした小沢健二。
彼は20年前に突如ニューヨークへと移住し、日本の音楽シーンを離れた。
その決意表明のようにリリースされた楽曲「ある光」には、「僕のアーバン・ブルーズの貢献」という一節がある。
最後の「アーバン・ブルーズ」というフレーズの意味を、筆者は最近まで知ることがなかった。
しかしいったんこの言葉の意味を知ると、小沢健二の音楽の聴こえ方が不思議と変わってきた。
「アーバン・ブルーズ」、あるいは「アーバン・ブルース」とは第二次世界大戦後に鳴らされた、新たな黒人音楽のことを指す。
1920年代からアメリカで始まった都市への人口流入により、黒人の民俗音楽であったブルースが大都市圏に広まった。
そしてエレキギターやモダンジャズと結びつきながら、形をを変えたことで生まれた言葉だ。
R&Bやファンクの最も原初的な形が「アーバン・ブルース」だったとも言えるのである。
1993年にソロデビューした小沢は、モータウンのR&Bやファンクを参照にしながら日本語ポップスを作り上げていた。
そして1994年に発表したアルバム『LIFE』では、都会的な恋愛や生活、価値観を歌った言葉を、ブラック・ミュージックの意匠で表現する。
『LIFE』はまさに日本における「アーバン・ブルース」の一つであった。
アルバムは大ヒットを記録し、紅白歌合戦にも出場した。
彼の音楽は、当時の日本の都市生活者たちに受け入れられたのだ。
その翌年、小沢は東京スカパラダイスオーケストラのアルバム『グランプリ』にヴォーカルとして参加する。
そこで歌ったのは小坂忠が1975年に発表した楽曲「しらけちまうぜ」であった。
元はっぴいえんどの鈴木茂と細野晴臣、キーボーディストの松任谷正隆、そしてドラマーの林立夫が参加したティン・パン・アレーのメンバーと共にレコーディングを行った『ほうろう』に収録されたこの曲は、アメリカのR&Bのファンクの意匠を感じさせるコーラスやカッティング、リズム演奏が印象的だ。
そして細野が紡いだ切なさを感じさせるメロディと、松本が書いた別れの悲しさを見せないようにする粋な男を主人公にした言葉は、どこか都会的な情緒を醸し出していた。
まだ「シティ・ポップ」という言葉もなかった時代の音楽ではあるが、都会のブルース=アーバン・ブルースを日本語ポップスとして鳴らした楽曲の一つである。
小沢は「しらけちまうぜ」を原曲のメロディに忠実でありながら、ボイスエフェクトやコーラス、そして東京スカパラダイスオーケストラが鳴らすきらびやかな管楽器のアレンジよって、現代に甦らせた。
その大胆かつ誠実なアレンジからは、日本のアーバン・ブルースの先人である小坂やティン・パン・アレーへのリスペクトと想いを感じ取ることができる。
そこから24年後、小沢健二は13年ぶりのアルバム『So Kakkoii 宇宙』を発表する。
この作品は「ある光」で日本の音楽シーンを去った彼が、再び都市で暮らす人々の生活を歌うことを試みたアルバムであった。
小沢は歌詞を通して、今まで以上に広い視点から人々の生活を映し出すことを試みた。
そのため楽曲の多くに「暮らし」「都市」「家庭」「労働」といった、日本のポップスにあまり使われないフレーズが用いられている。
それを象徴するは、アルバムのリードトラック「彗星」である。
流麗なストリングスとアーバンな演奏とともに、未来である2020年と過去である1995年を繋げ、「今ここにある暮らし」を「宇宙」だと歌う。彼はスピリチュアルで壮大さを感じさせる言葉で、生活を肯定しているのだ。
この楽曲の歌詞は、あいみょんのライブを観たことに多大な影響を受けたことを明かしている。
彼女は小沢健二がアーバン・ブルースを作っていた1995年に生まれ、彼の音楽に影響を受けたアーティストであった。
「1995年生まれの人が、僕の曲を聞いて、今は曲を書いて、僕にも届く。それはまた繰り返す。言葉は、続いていく。」
「君は僕を作ってくれる。それが僕が、お返しに、作品を作りたい、つまり、君を作りたい、と思う理由です。」
(小沢健二 Twitter より)
先人たちが作り出したアーバン・ブルースにリスペクトを込めて、小沢健二は音楽を作り出した。
そして、その音楽はあいみょんをはじめとした、次の世のミュージシャンへと受け継がれた。
そうした言葉と音楽の繋がりが、彼の新しい言葉と、生活を肯定するアーバン・ブルースを生み出したのである。