風、光、水、大地。
ジャズ・ギタリスト、パット・メセニーの奏でる音楽から感じられるのは、そのような大自然のイメージではないだろうか。
1999年、音楽ライター神舘和典氏によるパット・メセニーへのインタビューの中で、神舘氏が彼の音楽からは土の匂いが感じられると語ったことについて、パットがこのように答えている。
さっき君は土の匂いがすると言っていたね。もしそう感じたなら、僕にとってはとても嬉しいことだよ。というのも、それは僕がそのまま作品に反映されているという証だからね。
知っての通り、僕はニューヨークのような都会で生まれたわけではない。ミズーリ州のカンザスシティという、小さな田舎町で生まれて、17年間も育ってきた。その田舎で育ったバックグラウンドを隠すつもりなどなくて、むしろその自分の育った環境を受け入れながら音楽を作り続けているわけだよ。
僕のギターに土の匂いを感じるというのは、そういう僕自身の背景が音になっているということで、喜ばしい。
~「25人の偉大なジャズメンが語る名盤・名言・名演奏」神舘和典著 幻冬舎新書より
そんなパット・メセニーのサウンドに、さらに大きなスケールで宇宙や精神性を感じさせる彩りを添えるのが、キーボーディストのライル・メイズだ。
1978年に結成されたパット・メセニー・グループは、メンバー・チェンジを繰り返しながら今に至るが、ライル・メイズだけは結成時からパットの名パートナーとして、メセニー・サウンドを支え続けている。
彼らが出会ったのは1974年、カンサス州ウィチタ市で開かれた大学対抗ジャズ祭の会場だ。パットは当時、名ヴィブラフォン奏者として知られるゲイリー・バートンのグループに所属していて、ライルはノース・テキサス州立大学から自分のクァルテットで参加していた。
その後二人は、歌手のマリーナ・ショウのツアーに同行し、意気投合する。
1977年にパットはゲイリーのグループから離れて、ボストンのスタジオでソロ・アルバム『ウォーターカラーズ』のレコーディングに取り掛かる。ちょうど同じ頃にボストンにやってきたライルがこのアルバムに参加することとなった。
驚くべきは、二人の初共演となったこの記念すべきアルバム『ウォーターカラーズ』で、すでにその後の彼らに通じる心地よいサウンド・スタイルが完成されていることだ。
アルバム『Watercolors』より
「River Quay」
「Sea Song」
パット・メセニー・グループが結成されたのは、その翌年の1978年だ。
1979年のアルバム『アメリカン・ガレージ』の大ヒットを筆頭に、『オフランプ』、『トラヴェルズ』、『ファースト・サークル』、『スティル・ライフ(トーキング)』など、1980年代には大ヒットアルバムを連発し、数々のグラミー賞も手にしている。当時ジャズ評論家などからは、「パット・メセニーのギターはジャズと言えるのか?」という批評もあったが、そのような批評やジャンルなどをものともしないスケールの大きなサウンドが、多くのファンの心をつかんだと言っていいだろう。
グループでアルバムを制作していた頃の1981年、パット・メセニー&ライル・メイズの二人名義のアルバム『ウィチタ・フォールズ』がリリースされた。原題は『As Falls Wichita, So Falls Wichita Falls』で、二人が出会ったカンサス州のウィチタ市と、テキサス州にあるウィチタ・フォールズ(滝)の名前を引っ掛けた語呂遊びだと言っている。
ライル・メイズのリリカルなピアノについては、時にビル・エヴァンスを引き合いに出されることがあるが、そのビル・エヴァンスはこのアルバムが録音される直前の1980年9月15日にこの世を去っている。
アルバムには「9月15日(ビル・エヴァンスに捧ぐ)」という楽曲が収録された。
「September Fifteenth (Dedicated to Bill Evance)」~アルバム『ウィチタフォールズ』より(2000年2月ライヴより)
いずれの作品においても、そこには二人にしか奏でられない美しいメロディーがある。
しかし二人が出会う前、パットはピアノと一緒に仕事をするのは耐えられなかったし、ライルもギターと一緒に仕事をすることは耐えられなかったというのだ。
そんな二人が40年間一緒にプレイしてきた。
パット・メセニーとライル・メイズは、ジャズ・フュージョン界においてこれ以上ない名コンビと言っていいだろう。
(注O本コラムは2017年6月5日に公開されました。