2019年に全米ビルボードチャートでビートルズ以来、60年ぶりにトップ3を独占したアーティスト、アリアナ・グランデ。
わずか25歳でありながら、コーチェラやレディングなど世界最大級の音楽フェスティバルのヘッドライナーに選ばれ、マドンナやビヨンセのようなトップクラスの女性シンガーと並び称される存在になりつつある。
若くして成功した彼女だが、デビューまでには長い道のりがあった。
グラフィック・デザイナーの父と企業のCEOである母の下、フロリダに生まれ育ったアリアナは、幼い頃から両親の影響でR&Bに慣れ親しんでいた。
とりわけ、スティーヴィー・ワンダーやダイアナ・ロスのようなモータウンのシンガーたちの歌とビートは、彼女にとって子守唄のようなものだった。
そんなアリアナにシンガーになることを決意させたのが、幼い時に観たセリーヌ・ディオンのライヴだ。
子供のころ母と一緒にセリーヌ・ディオンのコンサートを観に行ってステージで歌っている彼女を観て「私もいつかあれをやりたい」って言ったら母が「できるよ」って簡単に言ってくれて。その言葉を信じて今の自分がある。
(2015年来日記者会見より)
80年代から90年代にかけては、世界的に女性のソロシンガーたちが注目されている時代であった。ホイットニー・ヒューストンをはじめとして、セリーヌ・ディオン、マライア・キャリーなど多くのシンガーが台頭した。
そしてアリアナが幼少期を過ごした90年代には、彼女たちはすでに人気を不動のものとしていたのである。
彼女は母の強い後押しによって、大きなステージに立つための第一歩として、地元の合唱団に入団する。
すると頭角をすぐに現し、わずか8歳で地元のプロアイスホッケーチームの国歌斉唱を任されるようになった。
圧倒的な歌唱力を持つ少女として注目される存在になったアリアナは、14歳になると単身カリフォルニアへ向かい、ハリウッドのマネジメント会社にこのように直訴した。
「自分のR&Bアルバムを作りたい」
彼女の歌唱力はマネジメント会社も認めるものだった。しかし、10代前半のアーティストがアルバムを作ったことがなく、すぐに歌手としてのデビューさせることには難色を示した。
その代わりにアリアナは、ミュージカル女優としてマネジメント会社と契約することになった。
シンガーとしての契約を結ぶことができなかったアリアナだが、ミュージカルの世界で若手女優として大きな活躍を見せる。
15歳の時にはブロードウェイの舞台に立ち、その2年後には人気テレビシリーズ『ビクトリアス』のキャストに抜擢される。
おてんばで歌が大好きな少女、キャット・バレンタインを演じた彼女は、名脇役として同年代の少女たちから大きな人気を集めるようになった。
そして18歳の時、念願の歌手デビュー作「Put Your Hearts Up」をリリースする。
しかし、テレビドラマの「元気な少女」のイメージを前面に打ち出したわかりやすいポップソングは、セールスも振るわず、アリアナ自身が目指していた音楽とも全く異なるものだった。
彼女が本当に望んでいたのはシンガーとしてデビューすることではなく、自分が影響を受けたR&Bを表現することだったからだ。
そこから2年の月日を要し、アリアナの希望に沿って制作されたのが2013年リリースのデビュー・アルバム『Yours Truly』である。
彼女自身が音楽を始めるきっかけになったセリーヌ・ディオンのソングライター、ベイビーフェイスをプロデューサーに迎えたこの作品は、アリアナのルーツである90年代のR&Bのテイストを前面に押し出したものになった。
とりわけ、ヒットシングルになった「Baby I」での乾いた打ち込みのトラックと伸びやかなメロディは、彼女の圧倒的な歌唱力をより魅力的に輝かせた楽曲だ。
このアルバムで全米1位を記録し、アリアナは世界中で若手のトップ・シンガーとして認められる存在となった。
彼女は幼い頃の憧れと自らのルーツであるR&Bを追求し続けたことで、大きな成功を収め、トップクラスのシンガーへの道を進み始めたのである。