1994年4月8日午前8時40分頃、シアトル郊外の家を訪ねた電気技師によってニルヴァーナのフロントマン、カート・コバーンの遺体が発見された。
ショットガンで自身の頭部を撃ちぬいた形跡から、警察は自殺と発表した。
そのニュースを聞いたカートの母親は、AP通信の取材に対してこう答えている。
「死んであのバカどもの仲間になってしまった。わたしはいつもあのバカどもの仲間になってはいけないと言ってきたのに」
“あのバカども“とはジミ・ヘンドリックスやジム・モリソンらに代表される、27歳でこの世を去ったミュージシャンたちのことだ。
カートの年齢も同じ27歳だったことから、「27」という数字はロック・シーンにおいて改めて特別なものと印象づけられた。そしてこの頃から、27歳で亡くなったミュージシャンたちは“27クラブ”と呼ばれるようになる。
ところでカートの遺体が発見されたとき、つけっぱなしになっていたステレオから流れていたのは、R.E.M.の最新アルバム『Automatic For The People』だった。
カートは生前に行われた最後のインタビューで、このアルバムについて「次に制作するアルバムはR.E.M.の最新アルバムのような、浮遊感のあるアコースティック・サウンドにしたい」という発言を残している。
「R.E.M.が何故あんなことをできるのか、俺には分からない。まったく、神のように偉大だよ。聖人のごとき功績と向き合いながら、偉大な音楽を発表し続けてるんだから」
憧れの存在であり、目指すべきバンドのひとつだったR.E.M.を最期に聴きながら、カートは逝ってしまった。
そのR.E.M.のマイケル・スタイプは、カートが亡くなる前に2人でコラボレーションする話を進めていたという。
「最後の数週間、カートとよく話していた。僕らは音楽プロジェクトを計画していたんだけど、結局何もレコーディングされずに終わってしまったよ」
2人が出会ったのは前年の秋。ニルヴァーナのベーシスト、クリスの家で催されたホーム・パーティーで知り合うと、11月末にはスタイプ家で数日を共に過ごしている。
死の直前、コラボを口実にしてスタイプが連絡を取っていたのは、精神的に追い詰められていたカートを助けようという想いからだった。
その先に起こるかもしれない悲劇を、予感していたのかもしれない。
「彼には飛行機のチケットとドライバーを送った。ドライバーは彼の家の前で10時間も待った。カートは出てこなかったし、電話にも答えなかった」
そんなR.E.M.のもとへ、カートの妻のコートニー・ラヴはカートが遺したギターの中から、フェンダーのジャグスタングを贈った。
それはジャガーとムスタングを掛けあわせたギターがほしいと、カートがフェンダーに交渉して自らデザインを手がけたギターだ。
スタイプはまもなくカートのために、「Let Me In」という曲を書き下ろす。
俺にはお前を止めたいという思いがあった
中に入れてくれよ 中に入れてくれよ
1994年の秋に発売された9枚目のアルバム『Monster』は、R.E.M.にしては珍しくハードなエレキギターを前面に押し出した「Let Me In」が収録され、前作とは打って変わってラウドな仕上がりになった。
翌年のツアーで「Let Me In」が演奏されたときには、カートから贈られたジャグスタングが使われた。
そしてカートの死から14年が過ぎた2008年、R.E.M.はカートがやろうとしていたであろう浮遊感のあるアコースティック・サウンドでこの曲を披露している。
2人のプロジェクトこそ実現せずに終わってしまったが、カートの想いはこんな形でR.E.M.に受け継がれていった。
R.E.M.とコラボレートしたいというカートの願いは、ほんの少しだけ叶ったのかもしれない。
*このコラムは2014年11月29日に公開されたのを改訂したものです。
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