1972年、大瀧詠一のレコーディングしているスタジオへ高田渡が遊びに来たことがあった。
2人がアメリカのルーツ・ミュージックについて話し合っていると、それを聞いていたベルウッドレコードのディレクターで、制作部長だった三浦光紀がこんな話を持ちかけた。
「そんなにアメリカのルーツ・ミュージックを知りたいんだったら、1回3人でアメリカに行こうか?」
どうせアメリカに行くならレコーディングもしてみたいと大瀧が乗り気になり、すでに解散が決まっていたはっぴいえんどのレコーディングを、ロスアンゼルスで行うという方向に三浦が話をまとめたため、高田渡がアメリカに行く話はなくなった。
そのときに完成したはっぴいえんどのラスト・アルバム『HAPPY END』は、レコーディング中に“音の魔術師”として知られる奇才ヴァン・ダイク・パークスが、リトル・フィートのローウェル・ジョージを連れて突然やってきて、「さよならアメリカさよならニッポン」のアレンジを手がけるというハプニングがあったりしたことで、彼らのラストを飾るに相応しい出来栄えとなった。
それから3年が経ったある日、ベルウッドから日本フォノグラムに移った三浦から高田渡は、「そろそろアルバムを出しませんか」と持ちかけられた。
「いっそのことロサンゼルスに行って録音しましょう」という提案によって、高田渡はサポートとして細野晴臣と中川イサトを加え、11月4日に三浦たちとロサンゼルスへと飛び立つことになった。三浦は高田渡とアメリカに行く約束を、忘れたわけではなかったのだ。
ロサンゼルスという新しい環境でも、レコーディングは順調に進んでいったと細野は振り返っている。
「ワタルとのセッションは、初めのうちは東京でやっているのと何ら変わることなく、平穏無事のうちに過ぎていった。ところが予感していたとおり、来るべき日が来てしまったのである。それはヴァン・ダイク・パークスが来た日のことだった」
はっぴいえんどで一緒に仕事をした細野がいることを聞きつけて、ヴァン・ダイクがまたしてもスタジオにやってきたのである。「何かやらせてほしい」というヴァン・ダイクの申し出を了承し、急遽「魚つりブルース」のセッションが行われることになった。
ヴァン・ダイクに連れられてきたスティール・パンの名手、ロバート・グリニッジが奏でるカリビアンな音色によって不思議な世界観になったその曲は、アルバムの1曲目を飾った「魚つりブルース」とは別に、「フィッシング・オン・サンデー」としてB面の最後に収められた。
この時のレコーディングでは、街を歩いていて偶然にも会ったブルース・ギタリスト、京都出身の山岸潤史も参加している。そのときのことについて高田は自著『バーボン・ストリート・ブルース』でこう綴っている。
僕たちは「おーい、山岸君」と声をかけ、そのまま彼をスタジオに引きずり込んだ。そしてできたのが『ヘイ・ヘイ・ブルース』。ほとんどスタジオライブのノリでつくった曲である。今もこの曲を聞くと、楽しげなセッションの様子が伝わってきて懐かしさを覚える。
アルバム全体ではブルースの色が濃くなったが、同時にこれまでになく色彩が豊かなサウンドに仕上がった。また、1973年に息子の漣が生まれたので、このアルバムには親の気持ちを歌った「初めての我が児に」と「漣」という2曲が入ることになった。
その高田漣によれば、高田渡の中にはフォークだけでなく様々な音楽があったという。
父の家で一緒に音楽を聴く時間は何度もあったんですが、実は、一般的に思われてる以上にいろんな音楽が好きな人なんです。アメリカのフォークソング一辺倒というよりも、ヨーロッパの民俗音楽だったり、キューバの音楽だったり、当時だとラテン・プレイボーイズとかすごく好きでしたね。 それが自分の音楽にアウトプットとして出てくるかどうかは別にして、何でも聴く人でした。
3年ぶりとなるソロ・アルバム『FISHIN’ON SUNDAY』は、様々なミュージシャンとの偶発的な出会いによって、それがアウトプットされた作品となった。
このアルバムは高田渡が1月1日に27歳の誕生日を迎えてから3ヶ月後、1976年の3月にフィリップス・レコードよりリリースされたのだが、この頃に高田はソロからバンド活動へと移行していった。
かつて活動していた武蔵野タンポポ団はすでに解散していたが、ロサンゼルスでの日々やセッションで刺激を受けたのだろうか、帰国すると自分より年下のミュージシャンたちとディキシーランド・ジャズ要素の強いバンドを組み、全国をツアーで回り始めたのだ。
このバンドはのちにヒルトップ・ストリングス・バンドと名乗るようになり、1977年にフォーライフ・レコードよりアルバム『ヴァーボン・ストリート・ブルース』を発表しているが、その経緯について高田はこう振り返っている。
若い仲間と全国を回るのはとても楽しかったし、ライブも充実していた。だが、バンドとして自分たちがおもしろいと思うものをやっている以上、その音をどうしても残しておきたかったし、残しておくべきだとも思った。
参考文献:
『バーボン・ストリート・ブルース』高田渡著(山と渓谷社)
『地平線の階段』細野晴臣著(八曜社)
(このコラムは2016年4月16日に公開されたものです)


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