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母のブルースをポップスに昇華させたシンガー・ソングライターの宇多田ヒカル

2024.01.18

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「歌手は一流でなければ嫌、私は自分を取り戻すために、英語の勉強から始めます」


27歳で歌手を引退することを決めていた藤圭子は、こんな率直なコメントを残して1979年にニューヨークへ渡った。(注1)

やがてニューヨークに住む日本人の宇多田照實と出会い、結婚して長女の光が誕生したのは1983年のことだ。

幼い頃から母にシンガーとして期待されていた光は、父と母によるファミリー・ユニットの「U3」で活動し、1993年にはポニーキャニオンからアルバム『STAR』を発売している。

作家の大下英治は1994年の年明け早々、藤圭子と会っているときにこんな言葉を聞かされたという。(注2)

「娘の光は、天才なのよ。いま、ニューヨークで歌の勉強をしているから、見ていてごらん。あと何年かすると、あッと驚くようなデビューを見せるからね」


それから3年後、天才と嘱望された光は「Cubic U」 のヴォーカルとして、インディーズながらアメリカでデビューしている。
デビュー・シングルに選ばれたのは「Close To You(遙かなる影)」、バート・バカラックとハル・デイヴィッドが作ったスタンダード・ソングだった。
そこから両親が目指していた方向性が感じ取れる。

〈参照コラム〉カーペンターズと宇多田ヒカル、藤圭子の母子をつないだ「遙かなる影」

娘を天才歌手だと信じて疑わなかった母は宣言した引退を撤回し、ときおり日本に戻って歌い収入を得ることで、アメリカにおける音楽制作を継続した。

そうした努力を重ねたことで、故郷の日本で夢が叶うことになる。
ただし、そこには両親の愛情や努力だけではなく、宇多田ヒカルが秘めていた類まれなる才能が必要だった。

「私の両親はいつも音楽を作っていて、一緒にスタジオに居ました。彼らは私が歌うことをすごく応援してくれたけど、やらされているようで、気が乗らないこともあったんです。だんだん自分で書いてみようかなと思いはじめて、やってみたら気に入ったので、続けてきたってところかな」


シンガー・ソングライター、宇多田ヒカルの誕生である。(注3)


15歳の宇多田ヒカルは1998年12月9日、シングル「Automatic/time will tell」でデビューを飾った。もちろん、自らの作詞作曲である。

そして当初は無名でほとんど注目されていなかったが、比類ないヴォーカルと圧倒的な歌唱力、自ら作詞作曲する楽曲の新鮮さで評判になった。

翌年には1stアルバム『First Love』を発表してベストセラーとなり、母のデビュー時に負けずとも劣らない衝撃を音楽シーンに与えたのである。
アルバムの累計売上枚数は約800万枚にまで達して、日本国内の歴代アルバム・セールスの記録を大きく更新することになった。

たちまちのうちにJ-POPの歌姫となった宇多田ヒカルは、母の二の舞を踏むことなく、自分のペースで音楽活動を行っていく。

だがデビューから10年以上の歳月が過ぎて、結婚と離婚を経験した後に、アーティストではなく人間として活動をする期間を設けるとブログで発表する。
その時、彼女は27歳になっていた。

振り返ると、15才からずっと音楽ばっかりやってきました。「宇多田ヒカル」が音楽に専念できるように、周りから過保護に守られた生活をしてきました。人からは、年のわりには人生経験豊富だね~なんて言われるけれど、とても偏った経験しかしていません。

この仕事のおかげで普通じゃできないようなことも出来ました。ファンのみんなにも、ずっと一緒にやってきたスタッフにも、とっても感謝してます。

でも、アーティスト活動中心の生き方をし始めた15才から、成長の止まっている部分が私の中にあります。それは、人として、とても大事な部分です。

この12年間、アーティストとしては色んなことにもチャレンジしたし、少しは成長できたと思います。でもこれ以上進化するためには、音楽とは別のところで、人として、成長しなければなりません。

そういう気持ちから、一つ大きな決断をしました!
来年から、しばらくの間は派手な「アーティスト活動」を止めて、「人間活動」に専念しようと思います。


新しいことを勉強したり、広い世界の知らないものごとを見たり感じたりしたいという気持ちが、英語のほかにもいろいろなことを勉強したかったという理由で引退を決意し、それを実行に移した母とよく似ていることに驚かされる。

そこから「一個人としての本当の自分と向き合う期間」に結婚し、出産を体験して母となった宇多田ヒカルは、2016年9月28日に6枚目となるオリジナル・アルバム『Fantome(ファントーム)』をリリースする。

しかし、宇多田ヒカルが日本を離れていた2013年8月22日、母の藤圭子は自ら死を選んでいた。

母の死を知らされてマスコミの矢面に立ったとき、彼女は母を思う気持ちを自分のブログにこう記している。

誤解されることの多い彼女でしたが … とても怖がりのくせに鼻っ柱が強く、
正義感にあふれ,笑うことが大好きで、頭の回転が早くて、
子供のように衝動的で危うく、おっちょこちょいで放っておけない、
誰よりもかわいらしい人でした。


それから3年後、母をテーマにした歌「花束を君に」が、NHKの連続テレビ小説『とと姉ちゃん』の主題歌として世に出る。

その歌を聴いたリスナーから「もしかしてお母さんのこと?」というリアクションがあったことに、宇多田ヒカルは大いに励まされたという。

そして“幻“や“気配“を意味する“Fantome“というフランス語を、アルバムのタイトルにしたことについても、彼女はインタビューでこう答えている。(注4)

今回のアルバムは亡くなった母に捧(ささ)げたいと思っていたので、輪廻(りんね)という視点から“気配“という言葉に向かいました。一時期は、何を目にしても母が見えてしまい、息子の笑顔を見ても悲しくなる時がありました。でもこのアルバムを作る過程で、ぐちゃぐちゃだった気持ちがだんだんと整理されていって。「母の存在を気配として感じるのであれば、それでいいんだ。私という存在は母から始まったんだから」と。


リスナーが母のことだと分かって聴くからこそ、「絶対に母の顔に泥を塗らないアルバムにしなければという責任を強く感じていた」ともいう。

宇多田ヒカルは母の藤圭子から声とブルースの精神を受け継ぎ、それを見事に日本のポップスに昇華してアルバム『Fantome(ファントーム)』を完成させたのである。


(注1)引用元・小西良太郎著「女たちの流行歌(はやりうた)」産経新聞社
(注2)引用元・大下英治著「悲しき歌姫 藤圭子と宇多田ヒカルの宿痾」イースト・プレス
(注3)引用元・小西良太郎著「女たちの流行歌(はやりうた)」産経新聞社
(注4)引用元・http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160902-00010000-trendnewsn-musi


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