「私はそのギターに“ブラッキー”という愛称をつけた。1956年製の黒のフェンダー・ストラトキャスターだった。デレク&ザ・ドミノスとのツアー中だったある日、白いストラトを持っているスティーヴ・ウィンウッドを見た。彼に触発されてナッシュビルのギターショップに行くと、店の奥にストラトがたくさんあった。当時ストラトの人気はすっかりすたれていて、私は一本100ドルそこそこの安い値段で6本のストラトを買った。イギリスに戻った時に、ジョージ・ハリスンとピート・タウンゼントとスティーヴに1本ずつあげて、残りの3本の一番いい部分を組み合わせて一本のギターを作った。本当はもう1本、あげるべき友がいたんだけれど…それは叶わなかった。」
1970年、エリック・クラプトンはデレク&ザ・ドミノスのメンバーとしてアルバム『Layla and Other Assorted Love Songs(いとしのレイラ)』のレコーディングを終えてすぐにツアーをスタートさせようとしていた。
記録によれば9月20日のロンドン公演が初日となっている。
その二日前の18日…クラプトンにとって大きなショックとなる訃報が飛び込んでくる。
ジミ・ヘンドリックスの急死。
友人でもあったジミがライブパフォーマンスでよくギターを壊すことから、クラプトンはジミへのプレゼントとして、ツアー先で楽器店に立ち寄る都度に程度の良いストラトキャスターを見つけては購入していたという。
しかし…ナッシュビルで買い求めたストラトをプレゼントする直前に、ジミがオーバードーズで急死してしまったため、結局プレゼントするにはいたらなかったのだ。
マイアミにあるクライテリアスタジオでデレク&ザ・ドミノスがジミの曲「Little Wing」をレコーディングしたのは9月8日のことだった。
ジミはデレク&ザ・ドミノスのバージョンを耳にすることなく逝ってしまったのだ。
「もともと私はストラトを弾くプレイヤーだったバディ・ホリーとバディ・ガイに憧れていたにも関わらず、初期の私は主にギブソン・レスポールを使っていた。」
同じギタリストとして、ミュージシャンとして、尊敬し合い交友もあったジミの死は、クラプトンに打撃を与えた。
親友ジョージ・ハリスンの妻パティ・ボイドとの“報われぬ愛”の結末。
さらに私生児だった自分を育ててくれた祖父の死にも直面して、精神的な支えを次々と失っていく。
こうした状況の中、クラプトンは次第にドラッグやアルコールに深く溺れるようになり、現実から孤立してしまう。
その影響はデレク&ザ・ドミノスの2ndアルバム制作中に最悪なものとなった。
仕事がまったく手につかず、メンバーとの大喧嘩の末、1971年4月にバンドは崩壊(解散)してしまう。
翌1972年、クラプトンはステージやレコーディングどころか、まったく公な場に顔を出さずに一年を過ごす。
ドラッグとアルコールだけを友に“無の世界”をさまよっていたクラプトンにとって、1970年後半~1973年は完全に時が止まった状態だった。
1972年が終わろうとしていた時、クラプトンのもとにピート・タウンゼントから一本の電話が入る。
「俺たちと一緒にステージに立たないか?」
クラプトンを深い闇から引っ張り出すことを目的としたそのスペシャル公演(レンボーコンサート)が行われたのは1973年1月13日のことだった。
クラプトンと共にステージに登場したのは、電話の主だったピート・タウンゼントの他、ブラインド・フェイス時代に活動を共にしたスティーヴ・ウィンウッド、ロン・ウッド、ジム・キャパルディ、リック・グレッチという総勢8名の音楽仲間だった。
クリーム時代からデレク&ザ・ドミノスにかけての名曲が次々と演奏されていったこのステージで、クラプトンは白いスーツを着てブラッキーとレスポールを使用している。
仲間たちや周囲の献身的な手助けもあり、治療に専念することを決意したクラプトンは、1974年に音楽シーンへ奇跡的な復帰を遂げることになり、壮絶な日々から生き残った。
“ブラッキー”は、1973年のレインボーコンサートでのお披露目から約20年もの間クラプトンの全アルバム、全ステージにおいてメインギターとして使用されることとなる。
まさに“世界で最も有名なストラト”として、多くの音楽ファンに愛されたその名器は、老朽化を理由に1985年のアメリカ(ハートフォード)公演を最後に勇退する。
自身が主催するドラック&アルコール診療の専門施設“クロスロードセンター”の運営費捻出のために、クラプトンがギターを何十本もオークションに出品したことは記憶に新しい。2004年、ついに“ブラッキー”がクリスティーズのオークションに出品され世界中が注目した。
クラプトンの代名詞となったその名器は、楽器チェーン店を経営するギターセンターによって95万9500ドル(約1億1200万円)という記録的な高値で落札された。
<引用元・参考文献『エリック・クラプトン自伝』エリック・クラプトン(著)、中江昌彦(訳)/イースト・プレス>
<引用元・参考文献『ヤングギター・コレクションVol.2 エリック・クラプトン』シンコーミュージック>
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