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ルイ・アームストロングとコルネット〜ジャズの巨人サッチモが初めて手にした楽器

2019.08.03

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サッチモの愛称で親しまれた20世紀を代表するジャズの巨人、ルイ・アームストロング。
彼の愛器といえば、フランス製セルマーのトランペットだった。
1932年(当時31歳)に彼が始めてヨーロッパへ演奏旅行に出かけた際に、サッチモの大ファンだった英国国王ジョージ5世がセルマーのトランペットをプレゼントしたと言われている。
それ以来、彼は69歳で音楽人生を終えるまで生涯セルマーのトランペットを心から愛し続けたという。
そんな彼は12歳の頃にコルネットという楽器に出会ったことによって音楽キャリアをスタートさせている。
トランペットと長さは同じだが、管の巻き方が丸っこく巻いてある楽器である。
ニューオーリンズ時代に彼のアイドルだったキング・オリバーも、同時代に活躍したフレディー・ケパードも、初代ジャズ王と言われたバディー・ボールデンもコルネット奏者で、ジャズの初期はコルネットが主役だった。
サッチモが“初めて手にした楽器” コルネット。
それはどんな出会いだったのか?


1912年12月31日の出来事だった。
ニューオーリンズにあるストーリーヴィルと呼ばれる歓楽街(売春地区)に住んでいたルイ(当時11歳)は、仲間たちと路上を歌いながら歩いていた。
その街ではクリスマスから新年にかけて行列や花火などで賑わうのが恒例だった。
ジャズコーラスの原初的な形態ともいえるバーバー・ショップ・カルテット(19世紀のアメリカで生まれた男声コーラスグループ/演奏形態の総称)を組んでいた彼らにとって、その時期は“稼ぎ時”でもあった。
路上を行進しながら数曲を歌うと、帽子を回して投げ銭のような形で金を集める。
その夜、ルイは歌いながら何度もポケットに右手を突っ込んでいた。
ポケットの中に忍ばせていたのは38口径のリヴォルヴァーだった。
周りの大人たちを真似て、街の少年達は競い合うように新年の景気づけの“祝砲”を鳴らそうとしていたのだ。
当時、銃の所持は正式に許可されていなかったので、警官に見つからないようにやらなければならなかった。
突然、向かいの通りから銃声が聞こえた。
6連発の乾いたピストルの音が暗闇に響き渡る。

「奴らに負けるなよ!ルイ!そうだ!早くやっちまえ!」


仲間たちがけしかけた。
周りに警官の姿もなかったので、ルイはポケットから銃を取り出して空に向けて引き金を引いた。
3発、4発、5発…鼓膜が破れるかと思うほどの衝撃だった。
最後の1発を打ち終えた瞬間、いきなり背後から太い腕がルイの腕を羽交い締めにした。
押さえ込んでいたのは白人の警官だった。
仲間たちは素早く姿を消してしまい、ルイ一人だけが白人の警官に身体を抑え込まれていたのだ。

「お願いです…許して下さい。」

「もう二度とピストルには触りません!お願いです!ママのところに帰して下さい!」


どんなに頼んでみたところで、無駄だった。
新しい年を迎えようとしていたこの夜、ルイは母に稼いだ金を持って帰る代わりに、少年裁判所の冷たい独房に放り込まれてしまったのだ。
一夜明けた1931年の1月1日、彼は独房のベッドの上で目を覚ました。
逮捕されたルイは、そのまま少年院に収容されてしまう。
その施設で彼は毎日罪を償うために木工仕事や庭仕事を教わることとなる。
ピーター・デイヴィスという黒人の教官が、少年たちにバンドを組ませて音楽と発声法を教える時間もあった。
まともな教育も受けることなく貧しい黒人街で育った彼らにとって、いつか更生してミュージシャンになることは憧れであり、夢の一つでもあったのだ。
彼らが育った街では“ホンキートンク”と呼ばれる安酒場から夜ごとコルネットやクラリネット、ベース、ドラムと様々な楽器の音が店から漏れてくるのが日常だった。
ルイは収容された少年院の中で楽器の演奏を学ぶこととなる。

「自分もコルネットを吹いてみたい!」


ルイに最初に与えられたのは(期待に反して)タンバリンだった。
コルネットを希望していた彼だったが、まずは与えられたタンバリンで一生懸命リズムを刻み、バンドの演奏を盛り立てることに集中した。
ある日、そんなルイの姿を見ていたデイヴィス教官が今度は彼にドラムをやるように指示した。
バンドの課題曲は、当時流行していたジャズナンバー「At The Animals Ball」。


ルイは、曲の中でブレイクがくるたびに思い切って大胆な即興をやってみせた。
バンドはルイの叩くビートに引っ張られて、今まで以上に躍動感のある演奏となっていった。

「いいぞ!ルイ!」


他の少年たちから叫び声があがり、デイヴィス教官も満足気にうなずいた。
やがてコルネットを演奏していたパートの少年が出所していくこととなった。
後釜に誰が指名されるのか…ルイは固唾を呑んでその日を待った。

「ドラムもいいけれど、できることならコルネットを吹いてみたい…」


そして、とうとう運命の日がやってきたのだ。
デイヴィス教官がルイに伝えた。

「よし!コルネットを吹いてみろ!」

「デイヴィス教官!ありがとうございます!!!」


翌日、ルイは教官から手渡されたコルネットを磨き上げて練習の場に姿をあらわした。
その日から、彼の世界は一変した。
誰もが嫌がる床磨きや食事当番に当たっても、野外作業で力仕事をしていても、それが終わればコルネットを吹けると思うと少しも苦にはならなくなったのだ。
その楽器を手にして2週間も経たないのに、ルイはまるで何年も吹き続けてきたような音を出せたという。
デイヴィス教官はすぐにその才能を見抜き、熱心に基礎的な演奏技術を指導することにした。

「一音一音丁寧に出すんだ。しっかりした音色を出せれば、クラシックであろうとラグタイムであろうと、どんな音楽でもこなせるんだ。」


上達は早かった。
なにしろ幼い頃から路上で“生のジャズ演奏”に触れていたのだから、音感は抜群だった。
素人ながらにルイが吹く音色は、最初から鮮やかで滑らかだったという。
その上、分厚い唇と大きな口、丈夫で大柄な体と強靭な横隔膜を持っていたルイにとって、管楽器(コルネット)との相性は抜群だった。
のちに“ジャズの巨人”と呼ばれることになる条件を多く持ち合わせていたのだ。
メキメキと腕を上げたルイは、すぐにバンドリーダーに抜擢される。
その一年後…ルイに出所許可が出る。

「お母さんにたくさん親孝行をしなさい。」


ルイはデイヴィス教官に何度もお礼を言い、少年院を後にした。
2年ぶりにママのもとに帰ったルイは、まず久しぶりに大好物の(母の手作りの)ライス&ビーンズをお腹いっぱい食べたという。
その後ルイはバンドを組み、13歳にして“ジャズメン”のキャリアをスタートさせる…




<引用元・参考文献『ルイ・アームストロング―少年院のラッパ吹き』川又一英(著)/メディアファクトリー>

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