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初めてライヴを観たステージに30年以上の時を経て立ったデイヴ・グロール

2018.05.29

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元ニルヴァーナのデイヴ・グロールを中心とするロックバンド、フー・ファイターズが2014年の11月にリリースした8枚目のアルバム『ソニック・ハイウェイズ』。
この作品はアメリカの8都市をテーマに、各都市で1曲ずつレコーディングするというコンセプトで作られており、アルバムの1曲目を飾る「サムシング・フロム・ナッシング」はシカゴで制作された楽曲だ。



そのアルバム・リリースに先駆けて、フー・ファイターズがシカゴでライヴをしたのは10月17日のことだ。
会場となったのはカビー・ベアーという収容人数4~500人程度のクラブで、バンドの人気と集客力を考えればあまりにも小さすぎた。
だがデイヴには、どうしてもカビー・ベアーでライヴをしたい理由があった。
そこは、デイヴが13歳のときに初めて生のライヴを観た場所であり、人生が変わった場所だったのだ。

1969年1月14日生まれのデイヴ・グロールはオハイオ州の出身だが、幼い頃に家族とともにバージニア州へと引っ越している。
しかし7歳のときに両親が離婚してしまい、それからは母親のもとで育てられた。
デイヴがギターを弾き始めたのは12歳のときだ。その頃に練習していたのはザ・フーやレッド・ツェッペリン、ストーンズ、ビートルズといった、60~70年代のブリティッシュ・ロックが中心だった。

そんなデイヴが、家族とともにシカゴで暮らす親戚の家へと出掛けたのは、1982年の夏のことだ(注:1983年だったという説もある)。
親戚の家にはトレーシーという年上の従姉妹がいた。パンクロックに夢中だったトレーシーは、頭を剃り、パンクTシャツにボンテージパンツというパンクロッカーさながらの装いで、それを見たデイヴは衝撃を受けた。

「トレーシーは俺にとって最初のヒーローだった」(2013年SXSWの基調講演にて)


トレーシーはデイヴに様々なパンクのレコードを聴かせ、「今夜観に行きたいショウがあるの」とデイヴをライヴに誘う。
そうしてトレーシーに連れてこられたのが前述したクラブ、カビー・ベアーだった。

「半分も埋まっていないそのクラブで、俺のロックンロールは始まったんだ」(2011年NPR紙にて)


この日、ステージに上がったのはネイキッド・レイガンというバンドだった。
パンクからハードコアへと時代が移ろうとしていた80年代前半に、地元シカゴで人気を集めていたバンドで、商業的な成功を収めるには至らなかったが、デイヴにとっては最も敬意を払うべきバンドとなった。

「彼らの信じ難いようなステージに卒倒してしまったよ。
汗と血とツバが目の前にまで飛んできてるみたいでさ」




この体験を境にしてデイヴが聴く音楽は一変し、その後のハードコアやグランジといったシーンに身を投じていったのである。

フー・ファイターズといえばファンとの交流が有名で、ステージ上にファンを上げてのやり取りや、ステージ裏でのファンの交流などが度々話題となっているが、デイヴ・グロールが理想とするファンとの距離感は、おそらく初めてライヴを観た瞬間に決定づけられたのだろう。

そしてそのライヴから30年以上の時を経て、デイヴ・グロールはフー・ファイターズとして同じステージに立ったのである。
ライヴの後半でネイキッド・レイガンのボーカル、ジェフ・ペザーティをステージに招き、デイヴが最初に手に入れた彼らのシングル「サーフ・コンバット」を一緒に演奏した。
この日、デイヴは「俺の人生の中でも今夜は特に妙な気分だ」と度々口にしている。

※「サーフ・コンバット」は1時間45分あたりから

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