「本物の音楽」が持つ“繋がり”や“物語”を毎日コラム配信

TAP the POP

TAP the DAY

大瀧詠一が後進のために残した貴重な財産~ラジオ番組『ゴー・ゴー・ナイアガラ』

2023.06.09

Pocket
LINEで送る

はっぴいえんどのメンバーとしてプロデビューする大瀧詠一は、バッファロー・スプリングフィールドの音楽がきっかけで、細野晴臣と松本隆との出会いがあって1969年の秋にバンドを始めることになった。

そして日本語のロックをなんとか確立しようと試行錯誤を重ねていた頃、アメリカではキャロル・キングが1971年のはじめにアルバム『つづれおり』を発表した。

今なお不朽の名作と語り継がれている『つづれおり』はアルバム・チャートで15週連続1位を獲得し、シンガー・ソングライター時代の旗手としてキャロル・キングは脚光を浴びていく。

ひと足先に成功を収めていたシンガー・ソングライター、ジェームス・テイラーはそのアルバムから「君の友だち(ユーヴ・ガッタ・フレンド)」をカヴァーし、シングル盤が全米チャート1位の大ヒットとなった。

さらにはR&Bシンガーのダニー・ハサウェイも、ロバータ・フラックとのデュエットで同じ曲を歌って、全米チャート29位、R&Bチャートでは8位に入った。
こうしてキャロル・キングはソングライターとしても、以前にもまして名声を得ていったのである。

そのことを少し遅れて知った大瀧詠一は、「何してんの?」と驚いたそうだ。

「はあっ?」、と思ったよ。
あ、歌っていうのは歌なんだ。
つまりさ、「ロコモーション」はダンスナンバーだ、
「ユーヴ・ガッタ・フレンド」はシンガーソングライターだ。
そんなことはどうでもいいんだ(笑)。
なあんだ、歌は歌じゃねえか。
そう思ったのよ。(注1)


その時代に産まれたことで、たまたまめぐり会えた名曲というものがある。
大瀧詠一にとってはリトル・エヴァが1962年にヒットさせた「ロコモーション」が、少年時代にめぐり会ったポップスの原点だった。
それを作ったのがジェリー・ゴフィンとキャロル・キング夫妻だった。

少年時代からゴフィン&キングの書いたポップスに馴染んでいた大瀧詠一は、大人になってシンガー・ソングライターのキャロル・キングに再会した。
そして「同じ人間がいろんなタイプの曲作っていい」のだという、実にシンプルで重要な答えに出会ったのであった。

1975年6月9日にスタートしたラジオ番組の『ゴー・ゴー・ナイアガラ』は、入魂の「キャロル・キング特集」で始まった。
DJのイーチ・オータキが、大瀧詠一の音楽体験をリスナーに伝えると同時に、一緒に勉強会を行うという側面を持った番組だ。それは1年2年と回を重ねるごとに、次第にライフワーク的な様相も呈していく。

〈参照コラム〉・DJイーチ・オータキこと大瀧詠一の番組『ゴー・ゴー・ナイアガラ』が始まった!

ところで音楽業界ではしばしば、「これからは***の時代だ」とか、「もう***は古い」という言葉が、かなり無造作に使われてきた。
思想家の内田樹は「そうした言葉使いの前提にあるのは、この歴史の淘汰圧への盲信である」と言い、そのような考え方を「歴史主義」と名付けている。(注2)

歴史主義は音楽史を語るときの私たちの考え方にも深く浸透しています。
現に、いまだに「今・ここで・私が」聴いている楽曲こそ、歴史の審判と市場の淘汰を生き延びた、もっとも洗練され、もっとも高度で、もっとも先端的な音楽であると、何の根拠もなく信じているリスナーは少なくありません。
人々の嗜好が変わり、ひとつの音楽ジャンルが衰微すると、それにつれて、それまで我が世の春を謳歌していたプレイヤーもソングライターもプロデューサーも・・・次世代に席を譲って、表舞台から退場する・・・という諸行無常盛者必衰の歴史主義が声高に語られ、リスナーはそれを信じ込まされています。(注3)


なぜそうなのかといえば、商品としての音楽は短期的に価値が下がってくれたほうが、新しい商品を作って売る側にすれば都合がいいからだ。
だから新しい商品を売るために流行をしかけたり、ジャンルにくくって盛り上げたり、あるいはヒットした作品と類似性の高いものを追いかけたりする。

しかしそうした商品性重視の歴史主義に対して、大瀧詠一は『ゴー・ゴー・ナイアガラ』のなかで、音楽に価値を見出すのはリスナーの「音楽を聴く力」であること、音楽に価値を与えるのはリスナーの「音楽を愛する力」であることを、くりかえし伝えていった。

そして「音楽を聴く力」と「音楽を愛する力」の根底にあるのは、「愛着を持つ」ということだと訴え続けたのである。

昔はレコードがすり切れてB面が出てくるくらい、繰り返し聴いて愛着を持ったものですよね。
簡単に手に入るとなると、何にも興味がわかず、愛着が持てない人間になってしまう。(注4)


ラジオ関東版『ゴー・ゴー・ナイアガラ』は、3年3か月続いて1978年9月25日でひと区切りをつけた。
大瀧詠一が愛着をもって作ってきた172回の放送全体が、音楽への愛がつまっている貴重な文化財産だと言ってもいいだろう。


(注1)、(注2)、(注3)は「大瀧詠一の系譜学 (内田樹の研究室)」からの引用です。
(注4)は〈「作家で聴く音楽」第十七回 特別企画 大瀧詠一vs船村徹 JASRAC〉からの引用です。

*本コラムは2016年6月10日に公開されました。





Pocket
LINEで送る

あなたにおすすめ

関連するコラム

[TAP the DAY]の最新コラム

SNSでも配信中

Pagetop ↑

トップページへ