TAP the DAY

DJイーチ・オータキこと大瀧詠一の番組『ゴー・ゴー・ナイアガラ』が始まった!

2015.06.09

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1975年6月9日、関東のローカル・ラジオ局、「ラジオ関東」で新しい番組が始まった。
『ゴー・ゴー・ナイアガラ』は普通の人が眠っている時間帯、真夜中の3時から4時にかけてのオンエアだった。
DJはもちろん大瀧詠一、自身が企画を立てて選曲からDJまで務める番組である。

自分が聴いてきたなかから好きな音楽だけをかけて、音楽への愛情をユーモア精神を込めて語る。
その徹底的にマニアックなところに特徴があった。

記念すべき第1回の放送は「キャロル・キング特集」で、翌週の第2回目もキャロル・キングだった。
第3回目以降はニール・セダカ、バリー・マン、バディ・ホリー、エルヴィス・プレスリーからロイ・オービソン、日本のクレイジー・キャッツ、三橋美智也、細野晴臣、松本隆、鈴木茂、フォーシーズンズ、ナイアガラ・トライアングルと、古今東西、洋邦、新旧を問わず、趣味の音楽をかけて語った。

大瀧が信条としていたDJの条件は音楽をよく知っていること、第三者的な批評眼を持っていること、雑学の大家であること、旺盛な野次馬精神を持ち合わせていることだった。

このときから使い始めたDJとしてのニックネームはイーチ・オータキ、それは後のアルバム『EACH TIME(イーチ・タイム)』にもつながっていく。

イーチタイム

ニッポン放送で『オールナイトニッポン』のDJをやっていた亀渕昭信は、DJの大瀧についてこう語っている。

子供心ってのはものすごく大切だということが、スピルバーグの映画なんか見ると、とてもよくわかるのね。大滝さんのレコード作りも、放送作りも、そうなんだよ。
つまり、自分の宝物を自慢したいってこと。それから、前とは違う工夫を一生懸命やるってことね。


”自分の宝物を自慢”し、しかも”前とは違う工夫”という意味で凄かったのは第7回の「大瀧詠一」特集だろう。

初回のキャロル・キング以降、ニール・セダカ、バリー・マン、アルドン・ミュージックおよびスクリーン・ジェムズ系、ジェフ・バリー&エリー・グリニッチと、すべてソングライターやプロデューサーを取り上げてきた。

そして第7回ではソングライターとプロデューサーの自分に焦点をあてたのだ。
オンエアされたのは全部で29曲にものぼった。

1. うららか / 大瀧詠一
2. おもい / 大瀧詠一
3. 恋の汽車ポッポ / 大瀧詠一
4. サイダー’73 / 大瀧詠一
5. ユー・アンド・ミー / 大瀧詠一
6. 恋の汽車ポッポ第3部 / 大瀧詠一
7. サイダー (Another Ver) / 大瀧詠一
8. アシアシ / 大瀧詠一
9. サマーローション / 大瀧詠一
10.若がえり / 大瀧詠一
11.丈夫な夫婦 / 大瀧詠一
12.コメッコ / 大瀧詠一
13.ココナッツ・コーン / 大瀧詠一
14.ココナッツ・ホリデイ / 大瀧詠一とココナッツバンク
15.いらいら~颱風~びんぼう~Fussa Strut / 大瀧詠一
16.ジーガム (Demo Ver.) / 大瀧詠一
17.ジーガム / 大瀧詠一
18.ドレッサー / 大瀧詠一
19.サイダー’74(Chorus Ver.) / 大瀧詠一
20.サイダー’74(Vocal Ver.) / 大瀧詠一
21.サイダー’74(New Soul Ver.) / 大瀧詠一
22.サイダー’74(Meringue Ver.) / 大瀧詠一
23.どんな顔するかな / 大瀧詠一
24.どんな顔するかな (Sax Arrange Ver.) / 大瀧詠一
25.サイダー’75 / 大瀧詠一
26.外はいい天気だよ / 大瀧詠一
27.お先にどうぞ / かまやつひろし
28.朝寝坊 / 大瀧詠一
29.楽しい夜更かし / 大瀧詠一

比較的自由度の高い深夜放送とはいえ、これだけ徹底して自分の楽曲に解説と解析を行ったのは画期的だった。
単なる宝物自慢ではなく、それまでにはなかった工夫を加えた番組は、ごく少数ながら確実にコアなファンを掴んでいく。

大瀧はDJの仕事に関して、亀渕昭信の番組を聴いて育ってきたことを例にあげて、こんな発言を残している。

やはりカメさんは、いい音楽をかけてくれたと同時に、この人がかけると同じ曲でもどこか違って聞こえた。
感動した。この感動が今音楽をやっている原動力になった。
だから現在DJをやっている俺の番組を聞いて、音楽の良さを知ってミュージシャンになったというような話が出てくれば、もう本望だ。


『ゴー!ゴー!ナイアガラ』は1978年9月25日でひと区切りをつけて、それから1年後の1979年10月14日からはTBSラジオで再開される。

3年3か月の期間で合計172回放送されたラジオ関東版『ゴー・ゴー・ナイアガラ』は、大瀧詠一が自分を作ってきた音楽に正面から向き合って、リスナーとともに真摯に学び直した番組だった。

雑誌 ゴーゴーナイアガラ

それからおよそ1年後、大瀧は活字による「大瀧詠一のゴー!ゴー!ナイアガラ 日本ポップス史」(自由国民社)を刊行している。
そのあとがきで、次のように述懐していた。

74年に、NHKの「若いこだま(現在の「サウンドストリートでワンマンDJをやらしてもらったのが、僕のDJとしての第一歩でした。
それから10年経ちましたが、結局、DJにはなれませんでした。
というのは、自分の番組作りにおいて、重要だったのはDJスタイルではなく、自分の視点だったと言うのに気づいたからでした。
78年にラジオ関東で終わりを迎えたときが、DJの夢を捨てた時であり、本格的なミュージシャン下の第一歩でもありました。
DJの夢は捨てましたが、<DJの視点>は、現在ぼくの音楽作りに置いて、重要なポイントです。


2013年に大瀧詠一が他界した後も、音楽にとって<DJの視点>は重要なポイントであり続けている。

(注)文中の発言は大瀧詠一『オール・アバウト・ナイアガラ』(白夜書房)からの引用です。




大滝詠一『EACH TIME』
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大滝詠一『増補改訂版 オール・アバウト・ナイアガラ』(単行本)
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