「本物の音楽」が持つ“繋がり”や“物語”を毎日コラム配信

TAP the POP

TAP the DAY

Show Me The Place〜天国へと旅立って行った詩人レナード・コーエンが生涯探し続けた場所とは?

2018.11.07

Pocket
LINEで送る


教えてください
あなたのしもべに、どこへ行ったらいいか
教えてください
忘れてしまい、どこにあるか分からない場所を
教えてください、その場所を 途方に暮れた私に
教えてください

(対訳:三浦久)

2016年の11月7日に82歳でこの世を去ったレナード・コーエン。
彼が78歳の時(亡くなる4年前)にリリースしたアルバム『Old Ideas』に収録したこの「Show Me The Place」。
晩年まで創作活動に情熱を燃やした彼だったが、この歌は晩年に発表した作品の中でも白眉といえるだろう。
ユダヤ系カナダ人であり、父親はユダヤ教の指導者(ラビ)として有名な人物であったことから、彼は幼い頃から厳格なユダヤ教徒として育った。
しかし、30代後半から仏教(臨済禅)を学び、62歳の時に僧侶になるという異色の経歴を持っていた彼。
敬虔なユダヤ教徒として育ち、人生の後半を仏教徒として過ごした彼だったが…この歌詞を読み解く限り、いわゆる悟りの境地に辿り着くようなことはなかったのかもしれない。
彼が“詩人”としてのキャリアをスタートさせたのは大学時代だった。
カナダの名門公立大学に通いながら詩を書き始めたという。
在学中、意外なことに彼の成績は英文学が最悪で、逆に数学が得意だった。
さらにディベートに関しての彼の能力は学内でも最高レベルだった。
この頃から彼はギターを弾きながら詩の朗読を始める。
1956年、卒業を目前にした22歳の彼は、初の詩集『Let Us Compare Mythologies』を出版。
しかし、地元モントリオールを中心とする狭い範囲での活躍に物足りなさを感じていた。
そして彼は、シンガー・ソングライターとしてのプロデビューを目指し、ビート文化の中心地ニューヨークへと旅立った。
コロンビア大学に入学した彼は、ビート族たちが集まるカフェに入り浸るようになったものの、最後までそこに馴染むことはなかったという。彼のような名門出のお坊ちゃんを、筋金入りのビート族たちは受け入れてくれなかったのだ。
結局モントリオールに戻った彼は、ニューヨークで仕入れた“ジャズ・バンドをバックに詩の朗読をする”という新しいスタイルに挑戦した。
しかし、詩人としても朗読者としても、それ以上の活躍や収入は望めず、一時は父親の会社で工員として働く日々を過ごした。
そして25歳になった彼はある日、再び旅に出る決意を固め、当時ガールフレンドだったマリアンヌを連れて、そのまま数年間ギリシャのイドラ島という小さな島に住み着くようになる。
そこは水道設備すら整っていない不便な島だったが、いつしか作家や画家、詩人たちが住み着き始め、後にはアレン・ギンズバーグやブリジッド・バルドー、ソフィア・ローレン、ついにはケネディー一族までもが訪れることになる有名人達の隠れ家的存在となった。
いち早く島の魅力に惹かれた彼は、古い家を買って創作の拠点とした。
そして彼は、この島で「Bird On The Wire(電線の鳥)」を作った。


窓の外を眺めていると一本の電線に一羽の鳥が留っているのが目に入って思いついたというこの歌は、片思いに苦しむ孤独な男の心情が綴られている。
そこからは恋愛事情だけではなく、組織や社会に縛られず“自由になりたい”と願う普遍的なテーマも読み取ることができる。

電線の上の一羽の鳥のように
真夜中の聖歌隊の酔っぱらいのように
俺は自分なりのやり方で自由になろうとした


生まれ育ったカナダからニューヨークへ。
そしてロンドン、ギリシャの島イドラ、地上の楽園キューバ…再びニューヨーク(チェルシーホテル)へと“自分の居場所”を探し続けた彼。
自由を求め放浪し、何人もの女性と恋に落ち、やがて禅に傾倒していった彼が最後まで求めていた“Place”とは何だったのだろう?
もしかすると…彼は今“その場所”にようやく辿り着いたのかもしれない。

the_essential_leonard_cohen_2cd-11789941-frntl
レナード・コーエン『The Essential Leonard Cohen』
(2010/Sony)
SONY MUSIC ENTERTAINMENT CANADA INC. - Leonard Cohen
レナード・コーエン『Old Ideas』
(2012/Sony)

Pocket
LINEで送る

あなたにおすすめ

関連するコラム

[TAP the DAY]の最新コラム

SNSでも配信中

Pagetop ↑

トップページへ