TAP the DAY

昭和初期に生まれた歌、ジャズとシャンソンとブルース歌謡が流行した時代

2018.04.29

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4月29日は昭和の日です。
この祝日の由来をあらためて調べてみると…「激動の日々を経て復興を遂げた昭和の時代を顧(かえり)み、国の将来に思いをいたす国民の祝日」ということらしい。
1989(昭和64)年1月7日の昭和天皇崩御の後、それまでの天皇誕生日だった4月29日が「生物学者であり自然を愛した昭和天皇をしのぶ日」として“みどりの日”になった。
しかし、実際に制定された法律では(緑の日には)昭和天皇を偲ぶという趣旨は盛り込まれなかったため“昭和の日”に改称する法律案が超党派の国会議員により提出されて、2007年から4月29日が昭和の日となり、みどりの日は5月4日に引っ越しする形となったのだ。
今日はそんな昭和の日にちなんで、昭和元年(1926年)前後に誕生した歌、国内外で流行していた歌をご紹介します。



──1920年代(1920年〜1929年)、アメリカは第一次大戦の戦争特需を背景に空前の好況期を迎えていた。
世界の中心はロンドンからニューヨークへと移っていたのだ。
そして大量生産・大量消費の波が人々の暮らしを巻き込んでゆく。
多くの人間が享楽に耽るようになり、社会の裏側では禁酒法を逆手にとったマフィアが密造酒で大儲けしていた時代。
女性たちの意識・価値観も様変わりし、スカートの丈は短くなり、街角ではジャズが流行していた。
人々は酒とジャズとダンス、そして男女の交遊に夢中だった。
さらに、自動車、冷蔵庫、ラジオ、レコードなどの新しい製品やメディアが庶民に普及した時代でもあった。
日本では1923年(大正12年)に関東大震災が起き、東京は大きなダメージを受けた。
その3年後の1926年に「大正」から「昭和」へと元号が変わる。
翌1927年の9月に、米ビクターの全額出資によって日本ビクター蓄音機株式会社が創立され、本格的な“レコード産業の時代”が到来する。
リンドバーグの大西洋横断飛行、芥川龍之介の自殺、浅草〜上野間に地下鉄開業、大相撲の実況中継開始、野口英世が西アフリカで病死…などなど様々なことが起こった年でもあった。
翌1928年5月に、日本初の“商業レコード”が発売される。
曲のタイトルは「波浮の港」。
1923年に野口雨情が発表した詞に、中山晋平が作曲した歌曲である。
同曲は、国内初の“スター歌手”となった佐藤千夜子が日本ビクターからリリースした2ヶ月後に、当時世界で活躍していたテナー歌手の藤原義江がアメリカ滞在中に録音し“輸入盤”として発売される。
同じビクターでも、国内盤となる佐藤のレコードは黒盤、そして国外盤となる藤原のレコードは赤盤としてレーベルの色が分けられていたという。
同じ楽曲でも佐藤の国内盤は米盤よりも売り上げを大きく上回り、10万枚の大ヒットを記録する。


そんな中、外国曲を日本語でカヴァーする形でジャズブームが巻き起こり、当時の人気歌手、二村定一と天野喜久代が歌った「私の青空」(1928年9月発売・堀内敬三訳)が人々の心を掴んだ。
オリジナルは「My Blue Heaven」(1927年出版)というアメリカで500万枚を売り上げたヒット曲で、クレジットには作詞ウォルター・ドナルドソン、作曲ジョージ・A・ホワイティングと記されている。


翌1929年、空前の好景気と株高に湧いたアメリカで株価が大暴落する。
これを機に世界中が連鎖的な大不況へと向かっていった。
一方、フランスではどんな音楽文化が生まれ、流行していたのだろう?
時代は少しさかのぼり…1886年、パリでは“レヴュー”と呼ばれる新しい舞台ショー(音楽・舞踏・寸劇・曲芸が一体となった大衆娯楽演芸)が誕生する。
パリのナイトシーンを代表する伝説的なミュージックホール“フォリー・ベルジェール”で、世界初のレヴュー作品として『若者たちの広場』という演目が上演される。
20世紀に入って、第一次世界大戦が始まる少し前(1910年頃)から、複数の劇場で様々なレビューが上演され人気を呼ぶようになってゆく。
そして第一次世界大戦が終わると、戦勝気分ともマッチしてレヴュー全盛時代が訪れる。
当時多くのレビューに主演し“ムーラン・ルージュの女王”と呼ばれたのがミスタンゲットというシャンソン歌手・女優がいた。
1926年(昭和元年)に彼女が出演したレビューの主題歌『Ça c’est Paris(サ・セ・パリ)』は、後に全世界に知れ渡ることとなる。





1927年(昭和2年)に、宝塚歌劇団が『モン・パリ』という演目を上演する。
それは日本において初めて上演されたレヴュー作品であり、初めてシャンソンが紹介された歴史的な公演でもあった。
時を同じくして、国内ではアメリカ産のジャズやフランス産のシャンソンだけではなく「君恋し」のような、日本独自の新しい流行歌も生まれる。
それまでダンスホールでジャズなどを演奏していたミュージシャンが流行歌も演奏するようになり、レコーディングにも参加するようになったという。
1930年代になると、日本のレコード産業は最初の黄金時代を迎える。
日本情緒を感じさせる「影を慕いて」で古賀政男が人気作曲家としてデビューする一方、
ジャズバンドに在籍していた服部良一が洋楽的な「別れのブルース」で注目を浴びるようになる。



窓をあければ港が見える
メリケン波止場の灯が見える
夜風汐風 恋風乗せて
今日の出船は何処(どこ)へ行く
むせぶ心よ はかない恋よ
踊るブルースの切なさよ


1937年(昭和12年)、歌手・淡谷のり子の歌唱によって発表されたこの「別れのブルース」は、日本における“ブルース歌謡”の起点として知られている。
日本で初めて題名に“ブルース”と付けられたのは、1935年(昭和10年)にヘレン雪子本田の歌唱によって発表された「スヰート・ホーム・ブルース」だが、広く大衆に知らしめたという意味ではこの楽曲をおいて他にないと言われている。
ジャズ、シャンソン、ブルース歌謡に人々が胸躍らせていた時代。
昭和初期、日本の街角は希望と活力に満ちていたという。

<参考文献『流行歌の歩み〜日本歌謡大全』一般社団法人 日本歌手協会>


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