終戦から2年後の1947年、満州で両親を失って命からがら引き揚げてきた若い女性の悲痛な体験が、東京日日新聞に掲載された。
一人として身よりも知り合いもいない東京で、飢餓から逃れて生きていくためには、従軍看護婦の仕事から街娼に身を落とさざるを得なかったという、身の上を綴った内容だった。
その投書を読んだ作詞家の清水みのるは激しい憤りを感じながら、夜を徹して一編の歌詞を書きあげている。
その歌詞を受け取った作曲家の利根一郎は、身寄りをなくして地下道で生活する浮浪児たちがいる上野に足を運び、ガード下で進駐軍を相手に売春する街娼や、その横で靴磨きをして働いている幼い子どもたちの姿を目に焼き付けた。
言葉を発することも出来ず、社会の底辺で苦しむ人たちに代わって、利根一郎も渾身の思いを込めて曲を完成させた。
街娼に見を落とした女性の諦めを歌うことで、戦争がもたらす酷さを間接的に描いた反戦歌がこうして誕生した。悲哀のなかに社会の不条理を訴えたメッセージ・ソングであり、弱者の叫びから生まれた日本人のブルースであった。
最初のタイトルは「こんな女に誰がした」というもので、そこには強い怒りが打ち出されていたのだが、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)から「日本人の反米感情を煽るおそれがある」とクレームがついた。そこでタイトルを「星の流れに」へ変更し、レコード発売の許可がおりたという。
レコード会社はこの曲を淡谷のり子に歌わせようと考えていたが、パンパン(街娼)の嘆きという内容に抵抗を感じるという理由で、彼女には拒否された。
「パンパンに転落したのを、他人のせいにしてフテくされることはないじゃないの。自分が弱いからそうなったのよ」という淡谷のり子の主張は、戦争の修羅場をくぐって命がけで歌ってきた人の正論だった。
淡谷のり子が唄った「別れのブルース」がヒットし、ブルースの女王と呼ばれるようになったのは、日中戦争が勃発した1937年である。そこから日本は戦争へと一気に加速していった。
戦時中は日本軍の慰問団の一員として唄っていた淡谷のり子だったが、「贅沢は敵だ」というスローガンのもとでは敵国の文化の象徴だった、洋装のドレスで歌うことなど許されなかった。しかし、淡谷のり子はいつもドレスに身を包み、入念なメイクを施して舞台に立った。
そのことを軍からどんなに咎められても、「化粧やドレスは歌手にとって、贅沢ではなく戦闘服です」と主張を曲げないで通してきたのだ。命令に従わないことに怒った憲兵から、抜いた剣を突きつけられたことも度々だった。
「殺しなさいよ」って言ったの。「何になるの。私が死んだって、殺されたって、戦争に勝てますか」って言ったの。
歌に命をかける淡谷のり子の逞しさと凄みが伝わってくるエピソードである。
結局、新人の菊池章子によって歌われた「星の流れに」は、歌のテーマにとり上げられた街娼の女性たちに強く支持されて、発売の翌年になってから火がついて、映画『肉体の門』にも使われてヒットにつながった。
それから数十年の時が流れて、青江三奈、石川さゆり、高橋真梨子、ちあきなおみ、八代亜紀、美空ひばり、美輪明宏など、歌が上手いとされる一流歌手たちに「星の流れに」は次々にカヴァーされてきた。
数多の名唱があるなかで、原曲が持っていたブルースの切なさと、「こんな女に誰がした」という怒りを最も感じさせるのは、19歳の藤圭子が歌ったライブ・ヴァージョンだろう。
1970年10月23日の渋谷公会堂でのステージの模様を収録した2枚組のライヴ盤、『歌いつがれて25年 藤圭子 演歌をうたう』というアルバムに収録されている。
10歳になるかならないかの頃から、藤圭子は家族のために人前に立って歌い、生活費を稼いできた。そうしたキャリアを持つ10代だったブルージーな歌声からは、作者たちが歌詞とメロディに込めたメッセージが強く感じられる。
ハスキーな声を際立たせる細やかなヴァイブレーション、それを可能にする天性のリズム感、テクニックに頼るのではなく魂そのものを、歌詞とともにぶつけるような歌唱法はブルース・シンガーのものだ。
とりわけ3コーラスの「♪一目逢いたい お母さん ルージュ哀(かな)しや 唇かめば」の部分で聞かせる啼きのテクニックは、圧巻としか言いようがない。
最後の「こんな女に誰がした」というクールに突き放したフレーズには、怨み、恨み、嘆き、諦め、それらのすべてが入り混っていて、しかも儚(はかな)い。
静かな怒りで反戦を訴える「星の流れに」は、今でもメッセージ・ソングとして聴き手の胸に迫ってくるものがある。
菊池章子のオリジナル「星の流れに」

『歌いつがれて25年 藤圭子 演歌をうたう』
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