「本物の音楽」が持つ“繋がり”や“物語”を毎日コラム配信

TAP the POP

TAP the DAY

ジョージ・ハリスンの「バングラ・デシ」が日本で発売された日

2019.09.25

Pocket
LINEで送る

1971年(昭和46年)9月25日、ジョージ・ハリスンの「バングラ・デシ」(東芝音工)が日本で発売された。
同年の洋楽/邦楽ヒットソングといえば…

【洋楽】
1位「Joy To The World 」/ スリー・ドッグ・ナイト
2位「Maggie May」/ロッド・スチュワート
3位「It’s Too Late」/キャロル・キング

【邦楽】
1位「わたしの城下町」/小柳ルミ子
2位「知床旅情」/加藤登紀子
3位「また逢う日まで」/尾崎紀世彦



1971年、日本では学生運動や安保闘争の火が燻っていた。
NHK総合テレビが全番組カラー化を実施し、『仮面ライダー』の放映がスタート、第48代横綱・大鵬が引退表明し、マクドナルド日本第1号店が銀座にオープン、そしてアポロ14号の月着陸に世界中が湧いた年でもある。




ビートルズの解散直後、ジョージ・ハリスン(当時28歳)のもとに友人でありシタールの師でもあったインドの音楽家ラヴィ・シャンカール(ノラ・ジョーンズの父親)が訪ねて来た。

「瞳に悲しみを溢れさせた友達がやって来て、助けが欲しいと僕に訴えたんだ。僕は彼の悲しみを実感することは出来なかったけど、何かしなければと思った。」


1971年、バングラデシュではパキスタンからの激しい独立運動が起こっていた。
何百万もの避難民が、飢餓、病気、洪水に苦しみ、多くの子どもたちが命を落としていた。
ニューヨーク在住のラヴィは祖国インドの隣国バングラデシュで発生している難民の飢餓を訴えるためにジョージのもとを訪れたのだ。
インドの音楽家としてはモントレー・ポップ・フェスティバルやウッドストック・フェスティバルといった大規模なロックフェスティバルに参加したこともあるラヴィであったが、自分一人の力では大したことが出来ないと感じていたのだ。

「我々がバングラデシュのためにできることはないだろうか?」

「それじゃ彼らのためにチャリティーコンサートをやって、世界にこの現状を知らせ、そして寄付を募ろう!」


チャリティーコンサートといえば、慈善・博愛・同胞愛の精神に基づいてミュージシャンたちがノーギャラで出演し、その収益金を寄付するものである。
今では普通に行われていることであるが、これを最初に提唱したのがこの時のジョージ・ハリソンだった。
後にライブエイド(1985年7月13日に行われた20世紀最大のチャリティーコンサート)を発案・開催したボブ・ゲルドフは、ジョージに影響を受けたと公言している。
ジョージはすぐに自ら電話をかけ、マジソンスクエアガーデンを押さえ、エリック・クラプトンやボブ・ディランを筆頭に多くの音楽仲間に参加を呼びかけた。

「今すぐに僕らは何かをしなくちゃならない!そんな姿勢や行動はジョンから学んだことなんだ。」


当時はノーギャラでのライブは珍しいことだったので、難色を示すミュージシャンもいる中、ジョージはあきらめることなく強いリーダーシップを発揮したという。
ギリギリまで様々な交渉が進められ…コンサート当日の直前に発表された出演者リストには以下の名前が並んだ。
エリック・クラプトン、ボブ・ディラン、リンゴ・スター、ビリー・プレストン、レオン・ラッセル 、クラウス・フォアマン、アリ・アクバル・カーン、アラ・ラカ・カーン、ドン・プレストン、ジェシ・エド・デイヴィス、ジョーイ・モーランド、トム・エヴァンス、バッドフィンガーからピート・ハム とマイク・ギビンズ、カール・レイドル、ジム・ケルトナー、ジム・ホーン、アラン・ボイトラー、チャック・ファインドリー、ジャッキー・ケルソ、ルー・マクレアリー、オリー・ミッチェル、ドン・ニックス、ジョー・グリーン、ドロレス・ホール、クラウディア・リニアー、ジェーニー・グリーン、マーリン・グリーン…さらにプロデューサーとしてフィル・スペクターの参加が発表された。


そして1971年8月1日。
ニューヨークのマジソンスクエアガーデンにて、世界初の試みとなった大規模なロックチャリティーコンサート“The Concert for Bangla Desh”が開催された。
元ザ・ビートルズのジョージが凄いコンサートを行うということで、昼夜2回の公演チケット4万枚は即日完売したという。
コンサートの全収益、そしてジョージがリリースしたシングル「バングラ・デシ(Bangla-Desh)」の売上全額がバングラデシュに寄付された。
当時チャリティーの仕組みがまだ整っておらず、実際に寄付金が経由先のユニセフに送られたのは80年代になってからだったという。


1971年12月20日にリリースされたライブアルバムは、翌年のグラミー賞で年間最優秀アルバム賞を受賞。
ロックのアルバムとしてはビートルズ、ブラッド・スウェット&ティアーズ、サイモン&ガーファンクル、キャロル・キングに続き史上5枚目の受賞となった。
その後、コンサートの記録映画も製作され、その興行収入、そしてライブアルバムの売り上げも合わせて1,500万ドルがユニセフに寄付されている。
ジョージの死後、妻のオリヴィア・ハリスンは夫の遺志を継ぎ、このコンサートに関わるDVD/CD収益の窓口となる“ユニセフ・ジョージ・ハリスン基金”を設立する。
そこに集まるお金は、すべてユニセフへ寄付され、今もバングラデシュをはじめ世界中の“忘れられた子どもたち”の支援に使われている…


Pocket
LINEで送る

あなたにおすすめ

関連するコラム

[TAP the DAY]の最新コラム

SNSでも配信中

Pagetop ↑

トップページへ