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2019年に逝ってしまったレジェンド~内田裕也語録その1「ロックという生き方」

2019.11.22

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1976年に出版した著書「俺はロッキンローラー」 (高平哲郎構成 講談社) の中で、当時の内田裕也が語っていた99 人の著名人についてのコメントが残っている。
当時は30代の半ばだった内田裕也は、1974年8月に福島県郡山市で地元の有志が始めたワンステップフェスティバルに協力し、日本中のロックバンドの他に海外からオノ・ヨーコとプラスティック・オノ・バンドを呼んだことで大いに注目された。

1975年8月には念願であった「第1回ワールドロック・フェスティバル」を開催し、ジェフ・ベックやニューヨーク・ドールズを招聘するなどなど、内外のロックの発展に力を尽くした。

世界のロック・アーティストと対等に話ができる数少ない日本人として、フェスの裏方という役割を務めるかたわら、俳優としてユニークな個性を発揮していったのも、この時期からからのことだった。

そんな頃に出た最初の著書で「一体何人くらいの人間にあったんだろう」と思いを過去に馳せながら、編集者の質問に対して即答した言葉には嘘がない。
今になって読んでみても、そのまま彼自身のホンネが出ていると思える。

嫌な奴もずいぶんいる、そういう奴らとは、そん時だけの会話しかない。いい奴もそれ以上いる。俺も相手も、全く関心がないような連中もいる。もちろん作品だけで、直接本人と面識のないのもいる。俺はここで無差別に選んでもらった99人について直感だけで語っていこうと思う。




今でも通用しそうな人について語った直感だけの言葉を、アトランダムにいくつか紹介してみたい。

横尾忠則さん
UFOの権威にはならないでほしい。今は惰性でやってるようなところがあるけど、初期の頃に戻ってほしい。それにしても逢うとドキドキする人だよ、いまだに。

エルヴィス・プレスリーさん
太り過ぎだなぁ。キング・クレオールという感じ。そりゃァ、昔はねぇ…。やっぱ、革ジャンとジーンズでやってほしい。

村井邦彦さん
音楽家か社長なのか、はっきりしてほしい。ただ、俺としては、あの商才はみならいたいね。

太宰治さん
ガキのころに読んだとき、確かな手ごたえがあった。彼の死に方については、一種の憧れを持っている。

萩原健一さん
ジャック・ニコルソンになれるか。






ボブ・ディランさん
営業的中道左派。

ジャイアント・馬場さん
猪木(アントニオ)の商才に負けてるね。肉体の衰えを見せないで頑張ってほしい。プロ野球からプロレスに転向したの立派だよ。

かまやつひろしさん
いい人間だよ。だからもっと自分のポリシーを持ってほしいんだ。

赤塚不二夫さん
彼自身のアイディアは凄い。半年位休養して、アイデアをためてほしい。

山下敬二郎さん
日本では、最もロック的なオトコ。昔の芸能界の変な匂いだけを消せば、最高のロックンローラーだ。

ジャニス・ジョプリンさん
麻生レミと俺にとっての神様。

名前が上がった相手に対して内田裕也が「~してほしい」という言葉になることが多いのは、現状には不満だとしても、期待を込めて相手を見ているからだろう。
自分と同じように「ロックという生き方」をしているかどうか、常にその一点から相手を判断しているので価値観がぶれない。

矢沢永吉さん
俺の後継者になれるか。

ミック・ジャガーさん
いつまで大丈夫だろうか。ロックンロールを継続してほしい。

小沢征爾さん
ロックを分かろうとする数少ないコンダクター。ミラノで俺は、彼と間違えられたことがある。

山下洋輔さん
うん、なかなかやるわい。

美空ひばりさん
一度は抱かれたいオンナだ。

ポール・マッカトニーさん
グレート・コンポーザー。

ロカビリーのブームが始まった1950年代から、大阪のジャズ喫茶などで活動していたバンドマンで、後に安西マリアや西城秀樹をスカウトして世に出した上条英男が、インタビューのなかでアマチュア時代のファニーズ(後のタイガース)を見つけて、「沢田研二と出会ったことが、内田裕也を変えた」と述べていた。

それまで世界の中心にいることしか考えていなかった人間が、自ら新人バンドの裏方にまわってそこからピエロを演じるようになり、ロックという生き方を実践していったのだ。
そうやって始まった関係は内田裕也が亡くなるまで、いや、亡くなった後もまだ続いているのかもしれない。



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