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内田裕也語録その2~「世界中の良いものを取って、テメエらにあわせなくちゃ… .。でもそこから本物が生まれる時がある。」

2019.11.29

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99 人の著名人について内田裕也が語ったコメントをいくつか、1976年に出た最初の単行本「俺はロッキンローラー」から紹介したい。

・ベンチャーズさん
ビジネスと音楽は別だけど、俺としては初期のベンチャーズに戻ってほしい。

・石原慎太郎さん
首相になるのが目的じゃなく、人間らしい政治家になってほしい。「太陽の季節」のころのガッツはどこいった。

・レイ・チャールズさん
愛さずにはいられない。

・井上陽水さん
少し金貸してほしい。

・イエス・キリストさん
俺の心の中に、見つけられる。



内田裕也は相手よって裏と表を使い分けるような大人社会の仕組みに合わせて、器用な世渡りをするといったことができない人だった。
だからいつだって正攻法、相手が誰であろうと自分で会って話し合い、言葉以上に“目の力”や“全身の勢い”をぶつけることで、気合もろとも正面突破で前へ前へと進んでいった。
「俺はロッキンローラー」には冒頭で、こんなホンネが述べられていた。

ロック・フェスティバルもやりにくい時代だぜ!
最近はちょっと人気が出るとすぐに、ワンマン・ショーをやりたがる。ワンマン・ショーなんて、年に一回で十分だ。そんなにいイイカッコして、メリットを自分のものだけにしようっていうのかい?
Rockerをめざす多くのグループに少しでもチャンスを与えてやることが、Rockの持っている共同体意識だと思う。テメエ一人でエラくなったんじゃないぜ。

1950年代にロックンロールと出会った内田裕也は生粋のロックンローラーであり、日本のロック史の生き字引ともいえる存在であった。

当初は地元だった大阪のジャズ喫茶を中心に歌や司会をこなしていたが、全力投球のパフォーマンスで認められて上京してレコード・デビューを果たしている。



その後にタイガースとなってGSのブームを巻き起こす京都のバンド、ファニーズを見初めてヴォーカルの沢田研二に出会ったことにより、自分から率先して裏方の仕事を引き受けるようになっていく。
ときには周囲からピエロのような受けとめられ方をしながらでも、日本にロックを定着させるために自ら「ロック的な生き方」を貫徹した。

俺はたまたま両方やってたから、よくわかるんだけど、アーティストのことを長い目でもっと考えやってくれよ。俺がワールドロックフェスティバルをやっているのは何のためなんだ。本気で、ロックンロールする気のない奴らは、こっちからお断りだ。ミュージシャンに迷惑をかけない。どんな反対者があっても、俺はワールドロックフェスティバルをやり続けるぜ!


まだ古い芸能界のしきたりが強かった1960年代から70年代にかけて、なんとかその壁を乗り越えてロックという志を共有するアーティストがひとつになろうと、彼は獅子奮迅の努力をしてロックフェスを開催している。

当時の外国人は日本にロックがあることなんて、ほとんど誰も関心を持っていなかったという。
東洋の小さな島国に1億人もの人間が住んでいていて、第二次世界大戦ではアメリカとも戦果を交えれ破れた、よくわからない神秘の国と思っていた人が多かったのだ。

そしてカメラも、ファッションも、車も、音楽も、すぐにコピーして、それを海外に輸出して商売をしている連中だと、そういった程度の認識だったと述懐していた。
だが、そうした事実を受け入れて甘んじて認めた上で、内田裕也は日本のロックの未来に向けて、海外にも進出していった。

議会制度もイギリスのコピー、カブキも中国からのエイキキョウ、長髪もビートルズから、タクロウもボブ・ディラン、俺もエルビス・プレスリー、フェラチオもフランスから…。どっちみち、ちっちゃな島民が生きていくには、世界中の良いものをとって、テメエらに合わせなくちゃ… .。でもそこから本物が生まれる時がある。本物を超える時がある! 俺はそれを信じている。


年末から年始にかけて行われるニュー・イヤーズ・ワールド・ロック・フェスティバルは、内田裕也主催で1973年から開催されている年越しイベントである。
こうして誰にも真似ができない実績を積み重ねて、アーティストとのコネクションを築いていったのである。

1975年8月7日に後楽園球場で開催された「ワールド・ロック・フェスティバル・イーストランド」は、日本からイエロー、カルメン・マキ&OZ、クリエイション、四人囃子の4組、そして海外からはジェフ・ベックとニューヨーク・ドールズらを招待するという、当時としては日本最大級の規模のイベントになった。

内田裕也はプロデューサー的な立場に移行することで「ロックという生き方」を選び、日本と世界をつなぐロックの仕掛け人となっていく。

「俺はそれを信じている」と言い切った彼の言葉には、いつだって嘘がなかったし真剣そのものだったのである。


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