「本物の音楽」が持つ“繋がり”や“物語”を毎日コラム配信

TAP the POP

TAP the LIVE

苦境を乗り越えて“家族”となったフリートウッド・マックの『ザ・ダンス』

2024.02.03

Pocket
LINEで送る

男性1人、女性2人による美しいハーモニーで、70年代のロック・シーンを牽引してきたフリートウッド・マック。
歴史的名作『噂』は、これまでに累計4000万枚を売り上げたといわれる。

rumours

バンドが結成されたのは1967年。最初はブルース・バンドでメンバーも全然違っていた。
サンタナのカバーでも有名な「ブラック・マジック・ウーマン」を筆頭に名を馳せた彼らだったが、バンドの中心人物だったブルース・ギターの名手、ピーター・グリーンがドラッグと精神疾患により脱退してしまう。

それから数年間、フリートウッド・マックはメンバーを入れ替えながら新しい方向性を模索する日々が続いた。
そして1974年、ミック・フリートウッドがバッキンガム・ニックスというデュオの作品を聴いたことから事態は一変する。

彼らの歌に魅了されたミックがバンドに誘ったことにより、リンジー・バッキンガムとその恋人、スティーヴィー・ニックスの2人が加入すると、彼らは洗練されたサウンドと三者三様の多彩な歌声で次々とヒット作を生み出し、押しも押されもせぬスーパー・バンドとなった。

しかし、莫大な成功と引き換えに彼らには大きなプレッシャーがかかり、様々なトラブルを抱えるようになる。リンジーとスティーヴィーは破局、ミックも妻と離婚し、傷ついた心に付け入るようにコカインがメンバーの体を蝕んでいった。

80年代に入るとバンド活動は停滞し、それぞれのソロ活動が目立つようになる。
1987年にはついにリンジーが脱退を表明、フリートウッド・マックは1つの時代に幕を下ろしたのだった。

メンバー間でのトラブルや薬物依存はファンの知るところだったこともあり、リンジーが復帰することはもうないだろうと思われた。

しかし1993年、フリートウッド・マックの代表曲「ドント・ストップ」をテーマ曲に選挙活動し、大統領に就任したビル・クリントンがオリジナルのメンバーで演奏してもらえないかとお願いしたことにより、一夜限りの再結成が実現する。


そして1997年初頭、リンジーのソロ・アルバムにミックが参加したときに、再結成の話を持ち出すとリンジーは考えた末にフリートウッド・マックへの復帰を決めた。
その理由についてリンジーは「長い間離れていたことでかつての狂乱が過ぎ去り、お互いに敬意が持てるようになったからだ」と話している。

黄金期のラインナップによるフリートウッド・マックの復活は大きな話題となり、その模様は1997年5月23日にMTVの特番として『ザ・ダンス・スペシャル』が収録された。

そして翌1998年8月19日にライヴ・アルバム『ザ・ダンス』がリリースされると、見事に全米チャートで初登場1位を獲得する。
この作品は全米で5番目に売れたライヴ・アルバムとして歴史に名を刻まれている。

このアルバムについて、スティーヴィー・ニックスは2013年にローリング・ストーン誌のインタビューでこう答えている。

「『ザ・ダンス』は力強い作品で、私たちの目を覚ましてくれたの。私たちは長い間バラバラだったわ。その頃はフリートウッド・マックが元に戻るなんて夢にも思わなかった。それが急に、私たちのプランが全部キャンセルになるくらいに全てがひっくり返って、フリートウッド・マックは元に戻ったのよ」


また、リンジーは「お互いを知り、一緒にやってこれたことにとても感謝しているよ。ぼくたちは本当の家族なんだ」と話している。

フリートウッド・マックが苦境を乗り越えて元に戻ることができたのは、その絆が家族のように深かったからだった。


Fleetwood Mac『The Dance』
Reprise

●Amazon Music Unlimitedへの登録はこちらから
●AmazonPrimeVideoチャンネルへの登録はこちらから

Pocket
LINEで送る

あなたにおすすめ

関連するコラム

[TAP the LIVE]の最新コラム

SNSでも配信中

Pagetop ↑

トップページへ