1984年、自伝映画『パープル・レイン』を発表したプリンス。映画の興行収入は年間11位、アルバムは全世界で1500万枚を売上げ、その人気と名声は頂点にまで上り詰めた。その年の11月からはツアーに旅立ち、各地で賞賛の嵐を浴びる。
ツアー中のサポートで加わっていたのが、ジャズサックス・プレーヤーのエリック・リーズだ。兄のアラン・リーズがプリンスのツアー・マネージャーを務めていた縁で、プリンスと知り合ったエリックはその腕を買われてツアーに参加していたのだ。
父がジャズ・ピアニストでありながらもあまりジャズを聴いてこなかったプリンスにとって、エリックの加入によってもたらされたジャズ・フィーリングは大きな刺激となった。
そんなある日、エリックはジャズに興味を抱いたプリンスに、マイルス・デイヴィスの『カインド・オブ・ブルー』と『スケッチ・オブ・スペイン』、そして思い出せないがもう一枚レコードを渡したという。
マイルスの音楽に触れたプリンスはそれまで知ることのなかった世界に魅了され、他のレコード、さらには映像作品にいたるまで、手当たり次第に漁ってのめり込むのだった。
そんなプリンスがマイルスと運命的な出会いを果たすのは1985年の12月7日、ロサンゼルスの空港に降り立ったときのことである。
送迎の車が到着するのを待っていると、一緒にいたアランがマイルスを発見し、プリンスを連れて挨拶にいった。マイルスもまたプリンスの音楽を高く評価していた。
プリンスは曲を書いて歌い、音楽をプロデュースして演奏し、映画でも、演技にプロデュースに監督と、すべて自分でやってしまう。マイケル(・ジャクソン)同様ダンスもすばらしく、あまりに多くのことをやるから、ほとんどなんでもできるように見える。
プリンスもマイケルもすごいが、全体的な音楽の影響力という意味では、オレはプリンスのほうが好きだ。(『マイルス・デイビス自叙伝Ⅱ』より)
マイルスは自分の車にプリンスとアランを招待し、20分ほど会話すると、お互いの連絡先を交換する。その後、プリンスは録音したテープをマイルスのもとに送って、マイルスがそこにトランペットを重ねたり、自身のスタジオ、ペイズリー・パークが出来るとマイルスを招待したりと、互いに刺激を与えながら親交を深めていった。
プリンスは少し恥ずかしがり屋だが、すごくいい奴で、ちょっとした天才でもある。音楽や他のすべてのことにおいても、自分に何ができて何ができないかをちゃんとわきまえている。人々の心の奥底にある願望をカタチにしてみせるのが仕事だから、彼は誰にでも入り込めるんだ。
2人がステージで初共演を果たすのは、1987年の12月31日のことだ。プリンスはペイズリー・パークでミネアポリスのホームレスを救済するため、チャリティー・コンサートを主催した。そこには新年を一緒に迎えるために、観客として招待されたマイルスの姿もあった。
会場は超満員となり、そこがスタジオとは思えないほど本格的なコンサートでは、音楽と照明とダンスが一体となったパフォーマンスが次々と展開していく。そしてアンコールの最後、「ビューティフル・ナイト」の途中で、プリンスはマイルスをステージ上に招いた。
何も知らされていなかったマイルスだが、用意された自身のトランペットを手にすると、その洗練された音とメロディーで曲の世界を一変させてみせた。
プリンスはマイルスと一緒にアルバムが作りたかったという。一緒にツアーもしたかったという。
しかし、マイルスに時間は残されていなかった。1991年9月28日、ジャズの帝王と呼ばれ、音楽シーンに計り知れないほどの影響をもたらした男は、65歳でこの世を去るのだった。
そして、2016年4月21日。プリンスもまた、57歳という若さでその人生の幕を閉じた。
久々に天国で再会した2人は、今頃どんな話をしているのだろうか。
参考文献:
『マイルス・デイビス自叙伝Ⅱ』マイルス・デイビス/クインシー・トループ著 中山博樹訳(宝島社)
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