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悲しみの底にいたパティ・スミスを救ったボブ・ディラン

2016.12.15

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最愛の夫、そして実の弟。
わずか1ヶ月の間にパティ・スミスは大事な家族を2人も亡くした。

1975年に『Horses』でデビューしたパティは、ニューヨーク・パンクの中心で活躍するも、1980年に元MC5のギタリスト、フレッド・スミスと結婚、子育てに専念するため音楽活動を休止していた。

悲劇が訪れたのは1994年11月4日。
パティはアーティスト活動を再開し、夫のフレッドと一緒に新作アルバムの制作に取り掛かっていた。
だがその日、フレッドは心臓発作により45歳という若さで突然この世を去ってしまう。

独り残されたパティを、マネージャーでもある弟のトッドは付きっきりで懸命に励まし続けた。
だが、今度はその弟までもが脳溢血であの世に旅立ってしまったのだ。
パティは悲しみの底に沈み、アルバム制作は中断してしまう。

年が明けると、パティは少しずつイベントなどでファンの前に姿を見せるようになった。
だが夫と一緒に作っていたアルバム制作だけは再開することができなかった。

そんなある日、パティのもとに連絡が入る。
彼女が最も尊敬するミュージシャン、ボブ・ディランからで、一緒にツアーを回らないかという相談だった。
それは前に進むことが出来なくなってしまったパティへのディラン流のエールだった。

「パラダイス・ロスト・ツアー」(失われた楽園)と名付けられたそのツアーは1995年の12月7日から10日間に渡って催され、2人によるデュエットも実現する。

ディランが「自分の曲から好きなものを選んでくれ」と提案すると、パティは「Dark Eyes」という曲を選んだ。

「あまり知られていない歌だけど 本当に詩が美しいのよ」

知られていないのは当然で、それはディランがもっとも歌うのを苦手とする曲の一つであり、ほとんど人前で歌ったことがないからだった。

「上手く歌えないんだ。どのキーにすればいいのかがよく分からなくてね」

だが、ディランはパティの選曲を断ることはしなかった。


私は別の世界に生きている
そこでは生と死が忘れられることはない
地球は愛の真珠で結ばれ
見るもの全てが暗い瞳をしている



ディランとのツアーをきっかけに、再び前に進む力を手に入れたパティは作りかけのままだったフレッドとのアルバム制作を再開し、翌1996年7月に8年ぶりとなるアルバム『Gone Again』を発表するのだった。

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(このコラムは2014年1月14日に公開されたものです)

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