街の歌

テネシーワルツ物語・後編〜江利チエミが愛した歌、彼女を愛した高倉健〜

2015.05.24

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戦後間もない1947年頃、日本にはアメリカの文化が怒濤のように流れ込んできた。
当時の若者たちは、アメリカの映画に熱中し、アメリカのポップ音楽に耳を傾けていた。ラジオや街のそこかしこから聴こえてくる耳新しい歌の中でも、この「Tennessee waltz」は、特に日本人の心を惹きつけたという。

1949年、家計を支えるため、12歳の頃から進駐軍キャンプ回りをしながら“歌で稼いでいた”江利チエミが、一人の進駐軍兵士からプレゼントされたレコードが、この「Tennessee waltz」だった。
歌手になることを志していた彼女は、この曲でデビューを果たすことを心に決め、レコード会社のオーディションを受け始めた。
ところが現実は厳しく…どの会社からも不合格の通知しか届かない日々が続く。
背水の陣で臨んだキングレコードのオーディションにようやく合格したのが、14歳の時のことだった。
1950年にパティ・ペイジが録音してから2年も経たないうちに、江利チエミはレコード会社の大人たちをうなずかせて、現実に録音を果たしたのだ。
1951年11月にレコーディングされた、彼女の「Tennessee waltz」は、年をまたいで翌1952年の1月23日に発売された。
当時、キングレコードとしては“14歳の天才少女”として売り込みたかったらしいが、1937年1月11日生まれの彼女は(発売日には)15歳になっていたために「嘘をつくのは嫌だ!」と渋った彼女に対して、レコード会社も折れ…そのキャッチコピーは幻になったという。
これは、彼女の誠実で一徹な性格がよく表されたエピソードとして、後々まで語り継がれることとなる。

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「Tennessee waltz」の歌詞といえば、男性歌手が歌えば主人公は男性に、女性歌手が歌えば主人公は女性になる歌としても有名である。
だが、なぜか江利チエミが歌う日本語訳詞では、主人公が男性になっている。
この日本語訳が生まれたのには、どんな経緯があったのだろう?
当時、彼女のキング入社をゴリ押しした初代・音羽たかし(訳詩のペンンネームで、歴代・江利チエミの担当デレクターが襲名する名)こと和田寿三が「チャンポンで行こう!」というアイデアで、英語と日本語の混ぜ合わせた歌詞でのレコーディングとなる。
そんな中、最初に出来た歌詞が彼女にはどうしても納得がいかなかった。
オーディションに受かったばかりの14歳の少女は、涙ながらにディレクターにこう訴えた。
「この歌詞じゃ歌えない!この歌詞ではワルツに乗らないの…」

♪涙で聴く あのテネシーワルツ 儚い恋のうた
 一人で帰った あの夜も聴いた 美し(うるわし)テネシーワルツ

(※原曲でいうI remember the night〜のサビの部分) 

そして本番直前、和田デレクター苦肉の即興でこの歌詞が生まれたという。

♪去りにし夢 あのテネシーワルツ なつかし愛の歌 
 面影偲んで 今宵も唄う 麗しテネシーワルツ


続けてAメロの部分も日本語に訳されていく。

♪思い出懐かし あのテネシーワルツ 今宵も流れ来る
 別れたあの娘(こ)よ 今は何処 呼べど帰らない…


そんな幾つかのエピソードが詰まったデビュー曲「Tennessee waltz」を唱って、15歳の少女は日本の歌謡界のスターダムへと駆け上がってゆく…。
その後、雪村いずみ、美空ひばりといった日本を代表する歌姫たちもこの曲を歌い継いでいった。

♪「Tennessee waltz」/江利チエミ



I was waltzing with my darling 
To the Tennessee Waltz
When an old friend I happened to see
I introduced her to my love one
And while they were waltzing
My friend stole my sweetheart from me


去りにし夢 あのテネシーワルツ 
なつかし愛の歌 
面影偲んで 今宵も唄う 
麗しテネシーワルツ



昨年(2014年)の11月10日に亡くなった高倉健が、江利チエミの元夫であったことは周知のこと。
1959年、彼女は当時新進の俳優だった高倉健と結婚し、幸せな日々を送っていた。
その3年後に、母が父と結婚前に生んでいた異父姉が姿をあらわし、彼女の運命は暗転する。
自宅の火事、実兄の急死と不幸が相次ぎ、異父姉が負債していた数億円に及ぶ借金を背負うこととなり、夫の高倉健に迷惑をかけまいと1971年に離婚をする。
そして、借財の返済も終えた1982年2月13日、東京・高輪の自宅で、脳溢血で意識を失い、吐瀉物が気道に詰まっている状態で発見される。
死因は窒息死だった。享年45。
密葬が行われた2月16日は奇しくも、高倉健の誕生日であり、二人の結婚記念日だった。

高倉健と江利チエミ
それから17年の時が流れ…1999年に高倉健が主演した映画『鉄道員(ぽっぽや)』のテーマソングに「Tennessee Waltz」が使われたのは、こんなエピソードからだったという。
ある日『鉄道員(ぽっぽや)』の製作打ち合せの席で、キャストを含めた関係者が各々にテーマソングの候補をあげていた。
当初、監督の降旗康男は、夫レス・ポールのギターで妻メアリー・フォードが歌う「Vaya Con Dios」という曲を考えていた。
幾つかの候補曲があがる中、製作スタッフから「他に何かありませんか?」と問われた高倉健は、おもむろに「Tennessee Waltz」と答えた。
彼は妻・江利チエミと別れた後、再婚をしなかった。
彼女が亡くなってからも、ずっと墓参りを欠かさなかったという。
高倉健の人柄に深く触れてきた監督は、彼の中に存在する江利チエミの大きさをあらためて知り、映画のテーマ曲を「Tennessee Waltz」に変更した。
そのことを告げられた高倉健は「そんな個人的なこと、まずいんじゃないですか…」と言ったきり、黙りこくったという…。

思い出懐かし あのテネシーワルツ 
今宵も流れ来る
別れたあの娘よ 今は何処 
呼べど帰らない…


I remember the night and Tennessee Waltz
Only you know how much I have lost
Yes, I lost my little darling
The night they were playing
The beautiful Tennessee Waltz


去りにし夢 あのテネシーワルツ 
なつかし愛の歌 
面影偲んで 今宵も唄う 
麗しテネシーワルツ




江利チエミ『決定版 江利チエミ』

江利チエミ『決定版 江利チエミ』

(2011/キングレコード)


さて今週は「この歌手が唄うテネシーワルツが大好き!」を紹介して下さい♪
皆様からのコメント欄への投稿をお待ちしております。
洋楽・邦楽・性別・世代を超えて“音楽と出逢う”歓びを、皆さんで分かち合いませんか?
「私ならこの一曲!」
YouTube動画のURLをコメント欄に貼付けて、歌詞の内容や選曲理由と共に「一曲」聴かせて下さい。
投稿方法がわからない方は、直接メッセージでご返信(メール投稿)下さい。
曲名/アーティスト名と選曲理由だけの投稿でもかまいません。
info@tapthepop.net
コメント欄の方へ代理投稿させていただきます。
宜しくお願い致します。

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