カントリー、ポップス、ジャズ、ブルース、R&B…そして西洋、東洋、女性、男性を問わず数え切れないほどの歌手がカヴァーしてきた「テネシー・ワルツ(Tennessee Waltz)」。
多くの人々に愛されてきたこの稀代の名曲は、実は車の中での“鼻歌”から生まれたという。それは今から約70年前…1946年の出来事だった。
カントリー&ウェスタン歌手のピー・ウィー・キングは、テネシー州ナッシュビルで公開ライブ放送のラジオ番組『グランド・オール・オプリ(The Grand Ole Opry)』に出演するため車で移動していた。
その車中で、友人でもあった歌手のレッド・スチュワートと、「何か共同で作曲をしよう」という話を進めていた。その時、たまたまカーラジオからビル・モンローの新曲「Kentucky Waltz」が流れてきたのが二人の運命を一変させた。
キングは、さっそく「No Name Waltz(名もなきワルツ)」という仮名をつけて、聴いたばかりのモンローの新曲を鼻歌で真似るようにして歌った。スチュワートは、それに応えるようにポケットに持っていたマッチ箱を取り出して、思いつくままの歌詞を綴っていったのだ。
♪「Kentucky Waltz」/ビル・モンロー
その翌日、キングとスチュワートは音楽出版事業者のフレッド・ローズを呼んで、移動中に出来上がった曲をさっそく聴かせた。ローズはその場で、ただのくり返しだったサビ部分の歌詞を「O the Tennessee waltz, O the Tennessee Waltz」から「I remember the night and the Tennessee Waltz」という、歌の主人公の気持ちが入った言葉にすることを提案した。
こうして永遠の名曲「Tennessee Waltz」は完成していったのだ。
翌1947年の12月2日、ピー・ウィー・キングは自身のバンドであるゴールデン・ウエスト・カウボーイズと共にその曲をレコーディングした。それは、イリノイ州シカゴにあるRCAビクタースタジオでの録音だった。
このピー・ウィー・キングのバージョンが発売された直後、ゴールデン・ウエスト・カウボーイズの元ヴォーカリストだったカウボーイ・コパスのバージョンがキングレコードから発売される。両バージョンは共に1948年の春から夏にかけて、ビルボード誌のカントリーチャートで3位と6位を獲得した。
♪「Tennessee waltz」/ピー・ウィー・キング&ゴールデン・ウエスト・カウボーイズ
程なくして、この曲はチャートから姿を消してしまうのだが…2年後に、まさかの大ブレイクを果たすこととなる。
1950年、ポピュラー音楽からカントリー・ミュージックへクロスオーバーしながら、頭角をあらわしていた女性歌手パティ・ペイジが、“失恋男”が主人公だった歌詞を、男女の視点(himとhar)を入れ替えて“失恋女”を主人公にして歌った。
彼女が歌った“女性版”の「Tennessee Waltz」は、発売するやいなや13週間に渡って1位の座をキープするという快挙を成し遂げたのだ。
以降、この曲はパティ・ペイジの歌声と共に人々に長く愛され続け、累計売上げ枚数は600万枚に達し、ビルボード誌のヒットチャート(全米)で1950年代最大のヒットを記録するまでとなった。
このヒットにより、切ない歌詞の内容にも関わらず、1956年にはテネシー州の州歌としても選ばれている。
♪「Tennessee waltz」/パティ・ペイジ
歌の人気は海を越えて飛び火し、日本のラジオからも毎日のように彼女の歌声が流れていたという。そんな中、15歳の日本人少女が“英語と日本語のチャンポン”による「Tennessee Waltz」を歌い、国内で空前のヒットを記録することとなる。
それは、戦後間もない日本において“重要なもの”となった日米安保条約が発効された年のことだった──。


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