戦後間もない1947年頃、日本にはアメリカの文化が怒濤のように流れ込んできた。当時の若者たちは、アメリカの映画に熱中し、アメリカのポップ音楽に耳を傾けていた。ラジオや街のそこかしこから聴こえてくる耳新しい歌の中でも、「Tennessee Waltz」は、特に日本人の心を惹きつけたという。
1949年、家計を支えるため、12歳の頃から進駐軍キャンプ回りをしながら“歌で稼いでいた”江利チエミが、一人の進駐軍兵士からプレゼントされたレコードが、「Tennessee Waltz」だった。
歌手になることを志していた彼女は、この曲でデビューを果たすことを心に決め、レコード会社のオーディションを受け始めた。ところが現実は厳しく…どの会社からも不合格の通知しか届かない日々が続く。
背水の陣で臨んだキングレコードのオーディションにようやく合格したのが、14歳の時のことだった。1950年にパティ・ペイジが録音してから2年も経たないうちに、江利チエミはレコード会社の大人たちをうなずかせて、現実に録音を果たしたのだ。
1951年11月にレコーディングされた江利チエミの「Tennessee waltz」は、年をまたいで翌1952年の1月23日に発売された。当時、キングレコードとしては“14歳の天才少女”として売り込みたかったらしいが、1937年1月11日生まれの彼女は(発売日には)15歳になっていたために、「嘘をつくのは嫌だ!」と渋った彼女に対して、レコード会社も折れ…そのキャッチコピーは幻になったという。
これは、彼女の誠実で一徹な性格がよく表されたエピソードとして、後々まで語り継がれることとなる。
「Tennessee Waltz」の歌詞といえば、男性歌手が歌えば主人公は男性に、女性歌手が歌えば主人公は女性になる歌としても有名である。だが、なぜか江利チエミが歌う日本語訳詞では、主人公が男性になっている。この日本語訳が生まれたのには、どんな経緯があったのだろう?
当時、彼女のキング入社をゴリ押しした初代・音羽たかし(訳詩のペンンネームで、歴代・江利チエミの担当デレクターが襲名する名)こと和田寿三が「チャンポンで行こう!」というアイデアで、英語と日本語の混ぜ合わせた歌詞でのレコーディングとなる。
そんな中、最初に出来た歌詞が彼女にはどうしても納得がいかなかった。オーディションに受かったばかりの14歳の少女は、涙ながらにディレクターにこう訴えた。「この歌詞じゃ歌えない!この歌詞ではワルツに乗らないの」
そんな幾つかのエピソードが詰まったデビュー曲「Tennessee Waltz」を唱って、15歳の少女は日本の歌謡界のスターダムへと駆け上がっていく…。
その後、雪村いずみ、美空ひばりといった、日本を代表する歌姫たちもこの曲を歌い継いでいった。
♪「Tennessee waltz」/江利チエミ
2014年の11月10日に亡くなった高倉健が、江利チエミの元夫であったことは周知のこと。1959年、彼女は当時新進の俳優だった高倉健と結婚し、幸せな日々を送っていた。
その3年後に、母が父と結婚前に生んでいた異父姉が姿をあらわし、彼女の運命は暗転する。自宅の火事、実兄の急死と不幸が相次ぎ、異父姉が負債していた数億円に及ぶ借金を背負うこととなり、夫の高倉健に迷惑をかけまいと1971年に離婚をする。
そして、借財の返済も終えた1982年2月13日、東京・高輪の自宅で、脳溢血で意識を失い、吐瀉物が気道に詰まっている状態で発見される。死因は窒息死だった。享年45。密葬が行われた2月16日は奇しくも、高倉健の誕生日であり、二人の結婚記念日だった。
それから17年の時が流れ…1999年に高倉健が主演した映画『鉄道員(ぽっぽや)』のテーマソングに「Tennessee Waltz」が使われたのは、こんなエピソードがあったそうだ。
ある日、『鉄道員(ぽっぽや)』の製作打ち合せの席で、キャストを含めた関係者が各々にテーマソングの候補をあげていた。当初、監督の降旗康男は、夫レス・ポールのギターで妻メアリー・フォードが歌う「Vaya Con Dios」という曲を考えていた。
幾つかの候補曲があがる中、製作スタッフから「他に何かありませんか?」と問われた高倉健は、おもむろに「Tennessee Waltz」と答えた。
彼は妻・江利チエミと別れた後、再婚をしなかった。彼女が亡くなってからも、ずっと墓参りを欠かさなかったという。高倉健の人柄に深く触れてきた監督は、彼の中に存在する江利チエミの大きさをあらためて知り、映画のテーマ曲を「Tennessee Waltz」に変更した。
そのことを告げられた高倉健は「そんな個人的なこと、まずいんじゃないですか…」と言ったきり、黙りこくったという…。
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執筆者
【佐々木モトアキ プロフィール】
https://ameblo.jp/sasakimotoaki/entry-12648985123.html
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1917年に開館した横浜の歴史的建造物「横浜市開港記念会館」(ジャックの塔)で、昭和の名曲を愛する一流のアーティストが集ってコンサートを開催!
昭和に憧れる若い人からリアルタイムで昭和歌謡に慣れ親しんだ人まで、幅広い世代が一緒に楽しめるコンサートです! “国の重要文化財”という、いつもと違う空間が醸し出す特別なひとときを、感動と共にお過ごしください!!
▼日時/2025年6月7日(土曜) 開場17時/開演18時
▼場所/横浜市開港記念会館講堂(ジャックの塔)
▼出演
浜田真理子 with Marino(サックス)
畠山美由紀 with 高木大丈夫(ギター)
奇妙礼太郎 with 近藤康平(ライブペインティング)
タブレット純(司会と歌)
佐藤利明(司会と構成)
▼「チケットぴあ」にて4月5日(土曜)午前10時より販売開始 *先着順・なくなり次第終了
SS席 9,500円 (1・2階最前列)
S席 8,000円
A席 6,500円
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