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デヴィッド・ボウイ少年時代②〜初めての楽器レッスン体験がワイルドサイドへと繋がった!?

2018.09.16

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1955年、当時8歳になったデヴィッドは、母の影響によってエルヴィス・プレスリーから大きな衝撃を受けることとなる。
ほぼ同じタイミングで、彼は人生を変える曲に遭遇したという。

「父親は仕事の特権もあって最新のレコードを定期的に持ち帰って来てたんだ。その頃の僕はアメリカの音楽に夢中だった。“Rock Around the Clock”や“Tutti Frutti”そして“Long Tall Sally”のレコードを手に入れた時は、もう天にも昇る気分だったよ!」




ビル・ヘイリー&ヒズ・コメッツによる「Rock Around the Clock」といえば、映画『暴力教室』(1955年)の主題歌として使用され、当時イギリスの上映館では、それを聴いたティーンエイジャーたちが暴動騒ぎを起こしていた。
そして「Tutti Frutti」「Long Tall Sally」を歌ったリトル・リチャードといば、当時,派手な色のスーツに身を包み、派手なアクションでピアノを弾いてアメリカの若者たちを熱狂させていたロックンロールスターだ。

「僕は大人が拒絶するものばかり好きになったんだ。ブラックミュージックとか、ビートジェネレーションの詩人とか、僕が当時“本物だ!”と思ったものはすべて反抗的で破壊的な性質を持っていた。あの頃のアメリカがなぜ偉大かって?開拓者の独立精神があるからなんだよ。」


デヴィッドの空想癖はロックンロールと出会った後も続いた。
夜になるとベッドにもぐり込んで、AFNラジオでレコードのトップ10や、アメリカを舞台にした放送劇を聴くようになった。

「僕は登場人物の一人になって、そこで生活しているところを想像していたんだ。ソーダを飲んだり、キャデラックを運転したり、リトル・リチャードのバンドでサックスを吹いたりしてね。」


中途半端が嫌いだったデヴィッド少年は、ピアノだけでなくサックスの演奏もしていたリトル・リチャードの足跡をたどることにした。
その結果、本格的にサックスを習うために自分で電話帳をめくり、地元で有名なバリトンサックス奏者ロニー・ロスの番号を探しあてた。
ロニーといえば、ウディ・ハーマンをはじめジャズの大物たちと共演してきた人物である。
デヴィッドの家からほんの数マイルのケント州オービントンに住んでいた。
運命の声に導かれるまま…少年は少しも臆することなく、ロニーに電話をかけてレッスンの依頼をした。

「こんにちは、僕は12歳です。サックスが吹けるようになりたいんです。レッスンをしてもらえませんか?」


ロニーは最初面食らって断るつもりだったという。
しかしデヴィッドの熱心さに押されて、とうとう引き受けることになる。
毎週土曜日の朝、1回のレッスンにつき2ポンド(約6,000円)、3ヶ月受けるという約束。
当時12歳だったデヴィッドにとっては大金だった。
ロニーは生徒となったデヴィッドの勤勉さ、粘り強さ、そして才能に感心したという。
それから13年の歳月が流れ…彼らは運命的な再会を果たすこととなる。

「僕がルー・リードのプロデュースをしている時“Walk on the Wild Side(ワイルドサイドを歩け)”の曲の終盤にサックスソロが欲しいという話になったんだ。それでエージェントにロニー・ロスを押さえてもらったんだ。」



プロデューサーの名前も知らされることなく、レコーディング現場に呼ばれたロニーは、1回のテイクでソロパートを完璧に決めたという。
「OK!」という声がスタジオに響いた次の瞬間…録音ブースの扉を開けて、ロニーのもとに一人の男が近づいてきた。
少年時代に親切にしてもらった恩を忘れることのない“元生徒”は、にっこり笑ってこう言った。

「ありがとう、ロン。土曜日の朝、ご自宅にお伺いしましょうか?」


「おいまさか!ウソだろう?」


ロニーは驚きの声をあげた。
目の前の男が“ジギー・スターダスト”と名乗って世界にセンセーションを起こしていたデヴィッド・ボウイ(当時25歳)で、かつて自分が指導した生徒だったことに気づいた瞬間だった。




<参考文献『デヴィッド・ボウイ 気高きアーティストの軌跡』ウェンディ・リー(著)江上泉(翻訳)/ヤマハミュージックメディア>

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