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ビージーズの「マサチューセッツ」に宿る複雑な思い出

2019.02.07

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1967年2月7日。
オーストラリアで結成されたコーラス・グループ、ザ・シーカーズのイギリスでの成功を追うようにして、オーストラリアで音楽活動をしていたビージーズもこの日、故郷へ戻ってきた。そしてこの年、彼らは「マサチューセッツ」を大ヒットさせることになる。

だが、11月5日。「マサチューセッツ」が英国チャートの1位に輝いた日は、ロビン・ギブにとって、甘さと苦さが混ざり合った、複雑な思い出として記憶されている。

「あれは、ボンファイアの夜だった」と、ロビンは語っている。ボンファイアと彼が言うのは、ガイ・フォークス・ナイトとも呼ばれるイギリスの風習で、子供たちが花火を鳴らし、かがり火をたくことで知られているイベントである。

「僕ら(ロビンと彼の妻)は、ヒザー・グリーン鉄道の事故に巻き込まれた。49人が亡くなる最悪の事故だった。幸いなことに僕らは怪我をせずに済んだけどね」

 ロビンはその夜の光景を鮮明に覚えている。
 彼らは脱線した列車のそばに座り、救出を待っていた。

「雨が降っていた。花火が終わると、救急車の青いライトが見えた。何か、映画のワンシーンを見ているような、そんな錯覚に陥ったよ」

 19時47分ヘイスティングス発チャリング・クロス行きの列車は、日曜日で、ガイ・フォークス・ナイトと重なったこともあり、混雑し、座席を確保できず、立っている乗客も少なくなかった。そしてヒザー・グリーン車両基地近くで脱線事故を起こしてしまう。12両のうち、11両が脱線。4両が横転した。この付近では、10年前の1957年にも、衝突事故が起こっている。ルイシャム列車衝突事故と呼ばれる惨事では、90人の犠牲者を出していた。

「それでも唯一の慰めになったのは、僕らが初めてイギリスでナンバーワンになった、ということだった」とロビンは語っている。
「マサチューセッツ」は、ロビンが初めてリード・ヴォーカルをつとめたナンバーだった。
 ところで、1967年の時点で、ビージーズの兄弟たちは、誰もマサチューセッツを訪れていない。

「あの曲は、ニューヨークのハーバーから乗ったボートの中で書いたのさ」


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