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ビージーズに普遍的な愛のバラードを書かせたプロデューサーの一言

2015.02.19

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♪ ベイビー、君は知らないのさ 
  それがどういうことか
  ベイビー、君は知らないのさ
  それがどういうことなのか
  誰かを愛するということを
  人を愛するということを
  僕が君を愛するようにね ♪


ビージーズの「トゥ・ラヴ・サムバディ」はアニマルズ、ジョー・コッカー、ロバータ・フラック、ジャニス・ジョップリンなど幅広いジャンルのシンガーにカバーされてきた。
叙情的なコーラス・グループとしての地位を固めつつあった彼らの初期の楽曲が何故、ソウルフルなシンガーたちにカバーされたのか、その鍵を握る人物が、プロデューサー、ロバート・スティッグウッドである。

ビージーズの中核メンバーである3人のギブ兄弟は、イギリスのマン島で生まれた。だが、小学生の頃、父親の都合でオーストラリアのブリスベンに移住する。
エヴァリー・ブラザースのコーラスから影響を受けた兄弟たちがオーストラリアでレコード・デビューを果たすのは、1963年のことだ。

1966年、ビージーズがオーストラリアで最優秀ボーカルグループに選ばれ、国民的なアイドルグループとなると、彼らに目をつけた男がいた。ビートルズのマネージャー、ブライアン・エプスタインである。
エプスタインはビージーズを英国に呼び寄せるため、自社の社員でオーストラリア出身のロバート・スティッグウッドを派遣する。そしてビージーズは世界デビューを果たすことになった。

ロバートは、プロデューサーというよりは、興行主として、エンタメ界のアントレプレナーとして名を馳せた人物だった。
ビージーズのメンバーが英国進出をした頃、ロンドンのエンターテインメント業界で幅をきかせていたのは同性愛者だった。そんな業界で、ロバートはめきめきと頭角を現していく。そう、ロバート自身、同性愛者だったのである。

次なる目標はアメリカ進出だった。だが、ロバートは、まったく違うところから幸運の糸を引き寄せることになる。オーティス・レディングへの楽曲提供の話である。
ロバートはビージーズの作曲を担っていた長男のバリー・ギブに、オーティスへの楽曲提供を説明するにあたってこう言った。

「僕のために、曲を書いてくれないか」

当然、バリー・ギブはロバートの性癖を理解していた。だが、バリーはロバートが言うように、ソウルフルなバラードを書き上げる。
サム&デイブが歌っているような愛のバラードを。というのがロバートのもうひとつのリクエストだった。
「それは別にホモセクシュアルな愛情ということではないんだよ」と、バリー・ギブは語っている。「ロバートのプロデューサーとしての才能は尊敬していたし、敬意を払っていたからね」

♪ ベイビー、君は知らないのさ 
  それがどういうことか
  ベイビー、君は知らないのさ
  それがどういうことなのか
  誰かを愛するということを
  人を愛するということを
  僕が君を愛するようにね ♪


楽曲が完成した後、バリーとロビンのギブ兄弟は、この歌をオーティス・レディングが歌うことになることを知らされる。そして彼らがニューヨークに滞在していた時のこと、プラザ・ホテルにオーティス・レディングが現れる。
「オーティスは僕らの楽曲を気に入ったと言ってくれた。そしてまた曲を書いてほしいとね」と、ロビンは語っている。

オーティスは残念ながらこの曲をレコーディングする前に、飛行機事故で天国へ旅立った。
だが、「トゥ・ラヴ・サムバディ」は、多くのソウル・シンガーによってカバーされ、今でも愛され続けている。
それにしても、その後、ビージーズがディスコ・ヒットを連発するのを見て、天国のオーティスはどう思ったのだろうか。



ビージーズ『ステイン・アライヴ~ビー・ジーズ・ナンバー・ワン・ヒッツ』
ワーナーミュージック・ジャパン

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