TAP the SCENE

アリ〜マルコム・Xやサム・クックに鼓動したモハメド・アリ

2017.12.12

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2016年6月3日、74歳で亡くなったモハメド・アリ。ボクサーでありながら、スポーツの域を超えて多くの人々に勇気を与えてリスペクトされた男。彼の人生を描いた本や映像は数多くあるが、ウィル・スミスが扮した『アリ』(Ali/2001)は、体制や権力の脅しに屈せずに自分の信念を貫いた60〜70年代の姿を追った秀作だった。まさにアメリカン・オリジナルな人生を歩んだモハメド・アリとは?

黒人たちの公民権運動やソウル・ミュージックに揺れていた1964年2月。22歳になったばかりのカシアス・クレイは、WBA・WBC統一世界ヘビー級王者のソニー・リストンに挑む。圧倒的不利と言われる中、「蝶のように舞い、蜂のように刺す!」というスタイルで7RTKO勝ちで新しいチャンピオンとなった。ここから伝説が始まったのだ。

マルコム・Xとの親交もあり、ネーション・オブ・イスラムに入信したカシアス・クレイは、「奴隷時代の名前を捨てる」ことを決意してモハメド・アリに改名。リング内では試合相手に挑発的な発言を繰り返して嫌われ役に徹する一方で、リング外では黒人差別社会と闘う。そんなこともあって権力側からは反体制のレッテルを貼られるようになり、結婚生活も1年強で破綻した。

この頃、サム・クック(1964年12月11日)やマルコム・X(1965年2月21日)といった同じ志を持った仲間たちの死も乗り越えながら、次々とタイトルを防衛。そして「ベトコンたちに何の恨みもない」ことを理由に、ベトナム戦争の徴兵を頑なに拒否。当時のアメリカを覆う空気感の中で大きな議論を呼ぶ。

1967年には9度目の防衛に成功後、アリは連邦大陪審に罪に問われて有罪判決(5年の禁固刑と1万ドルの罰金)。キャリア全盛期の20代半ばで、無敗のままライセンスとチャンピオンの座を剥奪されてしまう。上訴を待つ約3年半、国内外でのすべての試合を禁止されたアリは、FBIの監視下に置かれつつ、生計を立てるために講演活動などを行う。

やがてアメリカではベトナム戦争の支持率が急降下。遂に1971年6月、アリの判決は最高裁に破棄される。キャリアを犠牲にしてまで貫いた不屈の精神に共鳴する人々が増加し、モハメド・アリの存在は一つの美学としてスポーツの域を超えていく。ジョー・フレイジャーやケン・ノートンとの死闘(共に1勝1敗ずつ)を経て、1974年10月30日、当時最強と言われたヘビー級チャンピオン、ジョージ・フォアマンに挑戦。アリはこの時32歳になっていた。

ザイール(現在のコンゴ)の首都キンシャサで行われたこのタイトルマッチは、フォアマンのハードパンチをサンドバックのように浴び続けるアリが、相手の打ち疲れを待つ「ロープ・ア・ドープ」作戦で8R終了間際に逆転KO勝利を収めた。奇跡的な右の一発で世界を変えたのだ(上写真)。映画『アリ』は、この「キンシャサの奇跡」として余りにも有名で感動的な試合で締めくくられる。

アリはこの後10度の防衛に成功。1978年2月にはレオン・スピンクスに敗れるものの、同年9月にはスピンクスからタイトルを奪取。3度目の王者に返り咲くという偉業を成し遂げている。1981年引退。通算61戦56勝(37KO)5敗。1984年、パーキンソン症候群と診断され、長い闘病生活へ。1996年、アトランタ五輪の最終聖火ランナーとして登場、世界中の人々に感動を与えた。

Muhammad Ali 1942.1.17ー2016.6. 3

映画のオープニングはサム・クックが「Bring It On Home to Me」を歌っているという設定


予告編

サム・クック永遠の名曲「Bring It On Home to Me」

『アリ』

『アリ』


*日本公開時チラシ
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評論はしない。大切な人に好きな映画について話したい。この機会にぜひお読みください!
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