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ロックスターになっていく矢沢永吉をソングライターとして支えた西岡恭蔵 ②~「トラベリング・バス」

2018.11.23

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写真・井出情児


いつだってとどまることのない挑戦の姿勢ーー、それが矢沢永吉というロックスターの核であり、表現者としての本質なのであろう。

ソロ・アルバム『アイ・ラブ・ユー、OK』が完成して1975年9月21日にリリースされる時点で、正確にはまだ発売の前だったにもかかわらず、矢沢は早くも次のアルバムに思いを巡らせていたという。

「まず最初はトム・マックのプロデュースでうまくいったと思っている。この次は別のプロデューサーと組んでやってみたい」


ひとつの物事に全力でぶつかって可能な限りのことをやり遂げて、自分で納得がいったら新たなる目標に向かって再び走り出す。
それもむやみやたらと突っ走るのではなく、冷静に計画をたてたうえで注意深く行動に移していく。

矢沢はロサンゼルスへ単身で乗り込み、一流のミュージシャンたちとレコーディングを行った。
音楽を形にしていくという仕事について大切なことを、体験を通して学ぶことができたと述べていた。

「ロサンゼルスのA&Mスタジオで最初の音を聞いて驚いた。今まで聞いたことのない音が出てきた。何か、こう、感触が違うんだ」


レコーディングは弦のダビングを除けば、すべてワンルームだけで行われたという。
リズム・セクション、ホーン・セクション、コーラスをいちどに録音してしまうのだ。
それぞれの音がかぶってしまうので、誰かがミスしたらやり直しになるのだが、ほぼ一発で全員にオーケーが出る。



「すごいなと思った。1曲仕上がるのに20分ですよ。そして1曲を録り終えるとミュージシャンは全員スタジオから出て、休んでいる。非常にリラックスしている。全く仕事とは関係ない状態で過ごす。
そして再びスタジオに入ってひとたび楽器を手にすると、指揮者のもとで自分の音を表現する。ムダがない、すなわちプロフェッショナルなんです。彼らは音楽をするということを知っている。日本じゃ揉める割にはサッパリいいものができないのに、…」


スタジオ内の設備や器材に関しては、日本との違いをそれほど感じなかったそうだ。
ミュージシャンのテクニックにしたところで、日本のミュージシャンとの差はわずかだった。
それなのに出てきた音は、日本のそれとは決定的に違っていたのだ。

矢沢はセカンド・アルバムのための楽曲作りを始めたとき、それを自らの手でプロデュースすることを決めている。
ロサンゼルスで学んだこ体験をもとにすれば、日本でもホンモノの音を鳴らせるという勝算があったからだろう。

「オレ独自のサウンドを作ろう。日本一のプロデューサーになろう、と本気で思ったよ」


グループサウンズの時代からロックを体現してきたギタリスの水谷公生に編曲を依頼し、トップクラスのミュージシャンを集めてもらった。
仕上げのバランス・エンジニアとして参加したのは、日本で最初にフリーになった吉野金次である。
アングラの女王といわれた浅川マキのアルバムや、はっぴいえんどの『風街ろまん』といったた歴史的名盤にも携わっていた吉野は、アグネス・チャンや沢田研二のヒット曲も数多く手がけていた。

そして勢いとうねりがあるロックンロールと、男の色気を感じさせるバラードに特徴がある『ア・デイ(A Day)』を創り上げたのである。

ここで結果的にメインの作詞家となったのが、前作が好評だったことで期待値が大きく上がっていた西岡恭蔵だった。
ちなみに西岡が22歳の時に作った「プカプカ」のエンジニアが吉野で、リズム隊をバックにしたギターの弾き語りというシンプルなサウンドに物足りなさを覚えて、自らソロピアノを弾いて間奏にダビングしたという逸話が残っている。



西岡は『ア・デイ(A Day)』で全11曲のうち5曲を作詞したが、その中の「トラベリン・バス」が矢沢本人の出演するCMで使われた。

いざツアーが始まると「トラベリン・バス」はライブにおける人気曲として定着し、ファンの熱い人気と反応によってロックのカリスマとしてブレイクする矢沢とともに、あたかもテーマソングのように成長していったのである。

「トラベリン・バス」
西岡恭蔵/作詞・矢沢永吉/作曲

ルイジアナ テネシー シカゴ
はるか ロスアンジェルスまで
きつい旅だぜ お前に分るかい
あのトラベリン・バスに 揺られて暮らすのは
若いお前は ロックン・ロールに憧れ
生まれた町を出ると言うけど
その日ぐらしがどんなものなのか
分っているのかい
ルイジアナ メンフィス ジョージア
きつい旅だぜ ニューオリンズ


この歌詞にはロックンロールのもとになったジャズやカントリーを育んだ地域、アメリカ深南部のルイジアナ州やテネシー州から始まって、音楽にゆかりのある都市や州の名前が次々に連呼される。
そのことによって否が応でも観客に移動とスピード感をイメージさせて、心の中に生じる高揚感を増していくところに特徴があった。



「トラベリング・バス」に対する観客の熱い反応について、西岡はこんな発言を残していた。

あれは矢沢の中でもすごく大きなスタンダードな部分なんだろうと思います。すごく嬉しいのが、お客さんのあのパワーですか。見ていて楽しいんですよね。あのお客さんと矢沢との一体感っていうのが、ステージの一番大きな魅力なんじゃないかと思いますね。見ていると、もっともっと、と後押ししたくなりますよね。


実際の西岡恭蔵は大男なのに、いや、大男だからなのか、とてもシャイで朴訥な人柄で、鼻にかかった声で飾り気のない独特の歌い方をするシンガーだった。

矢沢のヴォーカルはそれと真逆で、どんな楽曲を歌っても圧倒的な説得力が備わっていた。
エッジの効いた歌声や多彩な表現力、ステージ上のアクションのキレには、初期のエルヴィス・プレスリーに通じるところがあった。

そしてエルヴィスのように屈指のバラード・シンガーであることが、西岡が歌詞を書いたアルバム・タイトル曲の「A DAY」によって証明されていく。



(注)矢沢永吉氏の発言はすべて1975年に筆者が行ったインタビューに基づくものです。


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