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リンゴ・スターが27歳のときに出会って救われたマハリシの「超越瞑想」

2016.11.12

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ビートルズの初期を振りかえって、リンゴ・スターはこう語っている。

バンドを始めた頃は、いい音楽を作ることだけが目的だった。
僕がビートルズに入りたかった理由もそのためだ。
彼らはあのあたりで最高のバンドだったからね。
だが、ツアーに出てヒット曲を演奏しながら、新たな歌を生産しなきゃならなくなると、そんなことも言ってられなくなる。
あれは、僕の人生で最高であると同時に最悪の時期だったと思うよ。


ビートルズは1966年の8月に行ったサンフランシスコのキャンドルスティック・パークでの公演の後、アルバム『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド(Sgt.Pepper’s Lonely Hearts Club Band)』の制作に入った。

そこでは以前からやめたいと思っていたコンサートツアーを終えて、思う存分に時間をかけてアルバム制作をできるようになったことで、メンバー全員が一丸となってレコーディングに関わっていた。

そしてさまざまな実験的な試みにも挑戦して、世界で初めてコンセプト・アルバムを1967年の春に完成させたのである。

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1967年6月1日にリリースされたそのアルバムは初登場でアルバムチャートの1位となった。
イギリスでは22週連続、アメリカでは15週連続で1位を記録し、内容的にもこれまでの最高傑作と謳われる評価を得た。

ビートルズは6月25日、世界24カ国を結んで行われた史上初の衛星同時中継によるテレビ番組、『アワ・ワールド』に出演して未発表の新曲「愛こそはすべて(All You Need Is Love)」を生で歌った。



その頃のビートルズはまるで音楽で世界を制覇したような状態にあった。
7月7日に15枚目のシングルとして発売された「愛こそはすべて」は、全英と全米チャートでたちまち1位を獲得した。

そしてその日はリンゴ・スターにとって27回目の誕生日だった。

しかし世間の評価や羨望にも関わらず、リンゴの内面は複雑な状況に入りつつあった。
それはレコード・デビューからの5年間における輝かしい成功の反動だった。

ビートルズとして桁外れの大きな成功を手に入れたことによって、昔から親しくしている親戚などと食事をしていても、相手がよそよそしくなってしまったという。

そんな時にインドのマハリシに出会って「超越瞑想」を信奉するようになっていく。

ロンドンのヒルトンホテルで行われたマハリシの講演に、リンゴをのぞくビートルズの全員が参加したのは8月24日のことだ。
ジョージ・ハリスンが、経緯をこう語っている

チケットをとったのは僕さ。
実は僕はマントラが欲しかったんだ。
前から瞑想したいと思っていたんだけど、そのためにはマントラという他の世界に入るためのパスワードが必要だと本を読んで知っていたからね。
それで、僕たちはいつも一緒に行動していたから、ジョンとポールも一緒にやってきたんだ。


マハリシが「どうやって瞑想するか教えてあげよう」と言ったので、ビートルズのメンバーたちはレコーディングをキャンセルして、翌々日にウェールズのバンゴアにいるマハリシの元へ列車で向かうことにした。

講演に参加できなかったリンゴ・スターにも、ジョン・レノンやジョージが電話で興奮気味にマハリシのことを薦めた。
リンゴは「超越瞑想」について、関心を持った理由を簡潔にこう述べている。

「僕は自分について『僕の存在とは一体何なのか?そして世界とはなんなのか?』色々と考えていたんだ。」


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ところがその翌日、8月27日にマネージャーのブライアン・エプスタインが、ロンドンの自宅のベッドの上で死体となって発見される。
享年32歳。

当初は死因がわからず、やがて睡眠薬と精神安定剤の常用による偶発的な事故であると裁定されたが、マハリシと一緒にいる時に死亡を知らされたメンバーは大きな衝撃を受けた。

ビートルズの育ての親とも言えるブライアンは常に主導権を発揮して、ビジネス面を取り仕切って活躍してきたものだが、アーティストとしての自我に目覚めたメンバーたちをコントロールできなくなっていた。

すでに自分たちの会社アップルを設立していたメンバーたちは、新しいビジネスにも進出する準備を進めていたのだ。
マネージャーを外されるに違いないと悲観したブライアンが、心労によって薬物に頼るという悪循環に陥っていたのは事実だった。

誤って過剰摂取で亡くなっただろうということが明らかになるまで、ビートルズのメンバーは誰もが平静な心ではいられなかった。
ジョンは彼の死についてこんなコメントを残している。

「エプスタインが死んだ時、もうビートルズは終わったと思ったよ…。」


ブライアンが死んで落ち込んでしまったビートルズは、ここから次第に各人がバラバラになっていく。
やがてバンドとしては分裂状態を迎え、リンゴが一時的にバンドを脱退するのは1年後のことである。

そんな緊張状態だったところで、唯一の救いとなったのがマハリシの教えだった。

ぼくら4人のこれまでの生活といったら、たとえようもないほどうんざりする。
お金で買えるものは、ほとんど何でも手に入れた。
だけど、そんなことはくだらないって、そのうちわかってくるんだ。
すぐに飽きちゃって別のものが欲しくなるのさ。
オヤジさんが大酒かっくらうのを見て、酒ってどんな味がするのか試したくなるようなもんだ。
今じゃぁ、そのむなしさを埋めてくれるものを見つけたんだ。
偉大なる聖者マハリシ・マヘシ・ヨギ会ってからすごくいい気分だ。


レコード・デビューする直前にビートルズの一員になったリンゴは、普通ではあり得ないほどのスピードで、短期間に成功者として頂点に上りつめてしまった。
そのプレッシャーと虚しさは桁外れだったのだ。

ビートルズは1968年の2月から3月にかけてインドを訪問している。
ジョン夫妻とジョージ夫妻が2月16日にインドへ行き、少し遅れてポールと当時の婚約者のジェーン・アッシャー、それにリンゴ夫妻が2月19日に合流した。

4人はそこでファンやマスコミとの接触を断ち、1日の5時間を静かに瞑想して過ごす日々を送った。
もっとも熱心だったジョージは「マハリシは、僕たちの内なる心の貯え(神)に瞑想を通して、到達できることを教えてくれた」と語っている。

食事が合わないという理由でリンゴはわずか10日間でインドを離れたが、その後も瞑想はずっと続けていった。
「クレイジーな60年代の終わり、自分を安定させる何かを探し求めていた時に瞑想と出会った」と語るポールも、それ以来40年間にわたって瞑想を続けているという。

それから40年の歳月が経って2008年、68歳を迎えたリンゴが自身の誕生日である7月7日に「ピース&ラヴ」のメッセージを広める活動を始めた。

リンゴもまた、「瞑想はマハリシからの贈り物だ。これまで人からもらったものの中で、本当に大切だと思えるものは少ない。瞑想は、その数少ないものの一つだ」と語っている。

「ふと思ったんだよね。
7月7日の正午にみんなが『ピース&ラヴ』について思いを馳せたら、なんて素晴らしいんだろうってね。
どこでもいいんだよ。
バスに乗っていようが、地下道を通っていようが、どこでもいいんだ。
『ピース&ラヴ』について思いを馳せてくれたら、僕にとっては大きな贈り物なんだよ」


リンゴは2009年4月に学校へ「超越瞑想」の導入を促進するため、ポールとともに慈善コンサートに参加している。



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