TAP the SONG
高倉健の代表曲「網走番外地」は、なぜ放送禁止歌として扱われていたのか
報道系、ドキュメンタリー系の番組を中心に数々の映像作品を手がけるほか、作家としての著書も数多くある森達也が書き記した「放送禁止歌」(知恵の森文庫)は、放送禁止歌…
TAP the SONG
報道系、ドキュメンタリー系の番組を中心に数々の映像作品を手がけるほか、作家としての著書も数多くある森達也が書き記した「放送禁止歌」(知恵の森文庫)は、放送禁止歌…
TAP the NEWS
吉田拓郎は、鹿児島出身の広島育ちである。 彼は高校時代からバンド活動を始め、1968年に広島フォーク村を結成して本格的に音楽キャリアをスタートさせる。 当時、大…
TAP the NEWS
まずは… あの“エンケン”こと遠藤賢司(純音楽家)が生前に語った言葉をご紹介します。 「プロテストソングがどういう歌かは全部聞いたわけじゃないからわからないけど…
TAP the NEWS
岡林信康の実家は教会だった。 父親は新潟県の出身で30歳まで新潟で農業をしていたという。 しかし、閉鎖的な村社会が嫌になって故郷を飛び出し滋賀県の紡績工場に就職…
TAP the NEWS
1980年代の初頭、映画監督・大島渚はある無名のシンガーソングライターを呼び出した。 それは新作映画への出演依頼だった。 しかも主役という大抜擢。 共演者はデヴ…
TAP the SONG
日本のロックの原点を築いたジャックスの早川義夫はこんな言葉を残している。 歌は悲しいから歌うのだと思っている。 寂しいから歌うのだ。 人とは、違うから歌うのだ。…
TAP the SONG
関西フォークの発信元となったインディーズのURCレコードで、ジャックス解散後に契約ディレクターとして働き始めた早川義夫は、1969年の晩秋にソロ・アルバム「かっ…
TAP the STORY
60年代後半から70年代と言えば…燻りつづける学園紛争の熱と共に、若者たちの間ではベトナム反戦、安保反対の嵐が吹き荒れていた。 そんな時代を背景に、若者たちが“…
Extra便
鈴木茂は17歳の時に細野晴臣からの電話で、新しいバンドを始めるのにリード・ギタリストが欲しいと言われた。 それが日本の音楽史に残る伝説のバンド「はっぴいえんど」…
TAP the LIVE
1969年から始まった日本初の野外フェスティバル、全日本フォーク・ジャンボリーは岐阜県の中津川市で暮らす若者が中心となって始まり、第1回では2500人ほどの人た…
TAP the SONG
岐阜県の椛の湖(はなのこ)の湖畔で開催された第3回全日本フォークジャンボリーは、1971年8月7日の昼から9日未明まで行われた。 そのなかで後世に語り継がれたの…
TAP the SONG
1960年代の半ば過ぎから後期にかけて、日本でもフォーク・ムーブメントという現象が起こった。 ギターを弾いていくつかのコードさえ押さえられれば、自分の言葉を綴っ…