「本物の音楽」が持つ“繋がり”や“物語”を毎日コラム配信

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忌野清志郎が歌ってスタンダードになった日本語詞の「デイドリーム・ビリーバー」

1964年の初めからビートルズが全米を制覇して空前のブームを巻き起こしたことに対抗して、アメリカのエンターテインメント業界が用意したのがモンキーズだった。 ビー…

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RCサクセション「九月になったのに」~歌や音楽でしか伝えられないボロボロの天使たちの叫び

ラジオから流れた歌を聴いてRCサクセションの大ファンになった竹中直人が、熱心にライブへ足を運ぶようになったのは中学3年生の頃だった。 RCサクセションはヤマハの…

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寺山修司が世に出した”ふたりのマキ”①浅川マキの世界「かもめ」

浅川マキが2010年に突然のように亡くなった後、音楽プロデューサーの寺本幸司はCDのライナーノーツでこう述べている。 蠍(さそり)座で、寺山修司構成演出で、浅川…

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RCサクセションの「トランジスタ・ラジオ」から聴こえてきたホットなメッセージ

1964年の春に中学生になったぼくの小遣いは、4月から500円にまで引き上げられた。これで月に一枚はシングル盤を買えるようになったが、言いかえれば月に一枚だけし…

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忌野清志郎「自分の感じたことを、そのまま形にしたいから、一つの詩を、ああでもない、こうでもないと、何日も考えてる」

「ダーリン・ミシン」という不思議なタイトルの歌を書いたのは忌野清志郎だ。 まだ貧しくて無名の恋人同士、「君」と「僕」が部屋で過ごしているシチュエーション。贈り物…

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越路吹雪、美輪明宏、大竹しのぶ、それぞれが定番にしたエディット・ピアフの「愛の讃歌」

シャンソンの名曲として世界中で親しまれている「愛の讃歌」は、日本でも越路吹雪の歌などによって、1950年代前半から60年代にかけて広く親しまれて浸透していった。…

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19歳の山口百恵が「私自身に近いところで歌が呼吸していた」と書いた「プレイバックPartⅡ」

山口百恵が所属するホリプロダクションの傘下にある音楽制作会社、東京音楽出版の原盤制作ディレクターとして、モップスや井上陽水を手がけていた川瀬泰雄が新たにスタッフ…

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エイプリル・フールから独立した小坂忠の「しらけちまうぜ」は日本語ソウル・ミュージックの原点

小坂忠が1968年に「ザ・フローラル」というバンドのヴォーカルとしてデビューした頃、日本にはまだ確たるロックシーンは存在していなかった。 加熱するGSブームの渦…

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美空ひばりの「リンゴ追分」からジャズの匂いを感じたという中学生のかまやつひろし

1952年4月に民間放送のラジオ東京(現TBS)の開局を記念してオンエアされたラジオドラマ、『リンゴ園の少女』の挿入歌として作られたのが「リンゴ追分」である。 …

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美空ひばりの「リンゴ追分」をSKAにして世界に広めたジャマイカのスカタライツ

スカタライツ(SKATALITES)は、レゲエを生んだ国・ジャマイカのジャズ・ミュージシャンによるスタジオのレコーディング集団として、1963年に活動を始めて1…

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ザ・ピーナッツの「ふりむかないで」に受け継がれた「上を向いて歩こう」のエッセンス

ザ・ピーナッツが1962年に発表した「ふりむかないで」は、オリジナル・ソングとしては最初のヒット曲である。 1959年に4月に「可愛い花」でレコードデビューした…

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日本人が知らない間にロシアで大ヒットしていたザ・ピーナッツの「恋のバカンス」

冬季オリンピックが開かれたソチは、美しい砂浜が広がる海岸で海水浴が楽しめることから、ロシアでは貴重なリゾート都市として発展した。 夏のバカンスで賑わう海辺の街は…

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