教室でホウキがギターに早変わりする、そんなイカした行為を始めた少年たちや、それを受け継いだ少年の話を紹介したい。
アメリカでロックンロールが生まれた時から、ホウキやモップはギターの代用品になっていた。エレキギターに革命を起こしたジミ・ヘンドリックスは、8歳の頃からホウキを手にギターを弾く真似事を始めて、”くちギター”で音をつけていた。
15歳の時にシアトルのシックス・スタジアムで、エルヴィス・プレスリーのライブを観てからのジミは、「ラブ・ミー・テンダー」に夢中になったという。
エルヴィスは5歳の時に父親に手作りのギター作ってもらったが、それは葉巻の箱に穴をあけてホウキの柄をくっ付けて、荷造り用のヒモを張ったものだった。
ロックンロールがアメリカの進駐軍放送を通じて日本に到達したのは、1954年の後半から55年にかけてのことだった。だが一般に広く知られるのは1956年以降で、エルヴィスの「ハートブレイク・ホテル」がヒットしてからである。
まだテレビも普及していない時代で、まだ誰も動く姿を見たことがなかった。ホウキ・ギターを全国に広めることになったのは、雑誌に載ったエルヴィスの写真だったらしい。
ホウキをギターにするアクションは、江利チエミが主演した映画『サザエさん』にも登場してくる。
1954年の春に日大付属の横浜学園中学に入った坂本九は、ブラスバンド部に入ってトランペットを吹いていたが、まもなくしてそれでは満足できなくなった。
坂本九はメンフィスのサン・レコードから1954年から55年にかけて出ていたエルヴィスの歌を、兄や姉の影響で小学生の頃から聴いていた。
日本で最も早い時期からエルヴィスに夢中になった少年たちの一人だった坂本九は、彼の物真似をして学校の教室で床をころげまわり、机に飛び乗るアクションを見せては、クラスメートから拍手喝采を浴びていたという。
高校生になった坂本九はエルヴィスへの傾倒をいっそう深めて、初代ドリフターズにアルバイトのバンドボーイとして参加した。
立川の米軍キャンプにあった将校クラブでエルヴィスの「ハウンド・ドッグ」を歌ってプロの道に入り、パラダイスキングのメンバーとしてレコード・デビューを果たしたのは1959年で17歳だった。そして1961年には念願のエルヴィスの曲をカヴァーし、「G.Iブルース」をヒットさせている。
ソロで歌った「上を向いて歩こう」が日本で大ヒットしたのは、その年の秋から翌年にかけてのことである。さらに1年後には「SUKIYAKI」のタイトルで、日本語のまま「上を向いて歩こう」は世界中で大ヒットを記録した。
全米チャートの1位に輝く金字塔を打ち立てたのは1963年の6月のことだが、その頃のエルヴィスは雲上人のようになって、映画の世界にこもっていた。
1964年の春に国分寺市立第三中学校に入学した忌野清志郎は、おりからのエレキブームに刺激を受けてベンチャーズをカバーをするバンドを始めた。その後は同級生のバンド仲間と「The Clover」を結成し、それがR.C.サクセションへと発展していく。
ベンチャーズが好きでね、ビートルズよりも好きだったよ。ボーカルにはあんまり興味なかった。とにかくギターだと思ってた。もうギターが欲しくてたまらなかった。学校行ってもノートにギターの絵を描いたりしてたよ。
放課後なんて掃除当番ってあるじゃない。その時、ホウキがギターに早変わりするの。階段の踊り場をステージに見立てて、みんなでベンチャーズやビートルズの真似したよ。ギター・フレーズを口ずさんでさ。「デンデンデン」って歌いながら、ホウキを弾いてんのよ。(注1)
忌野清志郎はジミと同じように、歌ではなく”くちギター”で音をつけていた。
音楽シーンから距離をおいていたエルヴィスが、見事に復活を果たしたのは1968年の12月の「エルヴィスNBC TVスペシャル」だ。そこからライブに活路を見出しすと、エルヴィスはラスベガスを中心にショーを行って再びトップ・エンターテイナーの座についた。
坂本九が子供の頃からあこがれ続けたエルヴィスのショーを、ラスベガスで見に行ったのは1970年のことだった。
1960年代後半から天才ギタリストとして脚光を浴びて、世界中のミュージシャンに多大な影響を与えたジミはその年の9月、わずか27歳で急死している。
ジミが亡くなる半年前にR.C.サクセションは、坂本九と同じ東芝レコードからシングル「宝くじは買わない」でデビューした。だが、1972年のシングル「僕の好きな先生」が少しヒットしたものの、後が続かずに70年代の半ばには低迷を余儀なくされる。
忘れられかけていたR.C.サクセションに復活の兆しが見えてくるのは、徐々にロックバンドへと変貌したのがきっかけだった。1979年に入ってから精力的なライブ活動を続けて評判になっのだ。
その時に重要なレパートリーになっていたのが、大胆なロック・ヴァージョンに生まれ変わった「上を向いて歩こう」である。
ギター・フレーズを口ずさんでホウキを弾いていた少年は、日本を代表するロック・ミュージシャンへと成長していた。同じ頃にエルヴィスは、42歳の生涯を閉じている。
それから約10年後の1988年、忌野清志郎はエルヴィスの「ラブ・ミー・テンダー」を日本語で歌っている。
教室でほうきがギターに早変わりする伝統とともに、ゴキゲンな音楽に出会った喜びやときめきもまた、楽曲をカヴァーすることで、時や空間を超えて受け継がれていく。
「ラブ・ミー・テンダー」忌野清志郎
(注1)連野城太郎著『GOTTA! 忌野清志郎』(角川文庫)41ページからの引用です。なお本コラムは2015年1月9日に公開されました。
(注2)放課後の教室に残っていた一人の少女が音楽が鳴り出すと、ホウキをギターに見立ててかき鳴らしながら壁から天井へと歩きまわる、そんなCMがオンエアされたのは2006年のことだった。使われた音楽はスコットランドのロックバンド、フランツ・フェルディナンドの「Do You Want To」。
●Amazon Music Unlimitedへの登録はこちらから
●AmazonPrimeVideoチャンネルへの登録はこちらから
TAP the POPメンバーも協力する最強の昭和歌謡コラム『オトナの歌謡曲』はこちらから。