日吉ミミの「世迷い言」は、昔から伝わってきた「タケヤブヤケタ(竹藪焼けた)」「タイヤキヤイタ(たい焼き焼いた)」などの回文を使った歌謡曲で、テレビドラマの挿入歌として作られた。
1978年に作られた連続ドラマの『ムー一族』(TBS系)は、全編を通してナンセンスな笑いとシュールなギャグが出て来る作品だった。
たとえばトップ・アイドルだった郷ひろみ扮する主人公の”拓郎”が、「たまには気のきいた寝言でも言ってみるか」と、こんなことを呟いたりする。
「シンブンシ、タケヤブヤケタ」
『ムー一族』の放送が始まると、「私も考えました」と視聴者からテレビ局にはがきが届くようになった。
番組のプロデューサーで演出家でもあった久世光彦は、上から読んでも下から読んでも同じという回文について、こう語っている。
「宇津井健氏は神経痛」とか、いろいろ回文をやりましたよ。そういう馬鹿馬鹿しいことを一生懸命考えるのが大好きだから。
視聴者からの投書で傑作だったのはヘアリキッドをテーマにしたもので、久世はすぐに採用して番組のなかでも紹介した。
ヘアリキッド、ケツにつけ、ドッキリ、アヘ!
久世から回文を織り込んだ歌詞を依頼されたのは、ピンク・レディーの「UFO」や「サウスポー」を手がけて、飛ぶ鳥を落とす勢いだった作詞家の阿久悠である。
決めの言葉は「世の中バカなのよ」と、久世からの指定があったという。
詞を書く時、方向性とか狙いとかについては意見の交換はよくするが、具体的な詞の言葉について注文は受けない方である。しかし、相手が久世光彦では仕方がない。それに妙に面白そうなので引き受けたのである。引き受けた理由は「回文」だけじゃなく、TBS系テレビの人気ドラマ『ムー一族』の挿入歌であること、歌を日吉ミミが歌うこと、そして、これが最も大きい理由だが、作曲が中島みゆきであることと、魅力ある条件がたくさんあったのである。
阿久悠は3年前に久世から頼まれて、沢田研二主演のテレビドラマ『悪魔のようなあいつ』(TBS系)の挿入歌として、「時の過ぎゆくままに」を作って大ヒットを記録していた。
久世は劇中歌や挿入歌の演出に毎度工夫を凝らすことで有名で、そこから数多くのユニークなヒット曲を誕生させている。
初期の阿久悠の代表作となった堺正章の「街の灯り」、郷ひろみと樹木希林とのデュエット曲「おばけのロック」や「林檎殺人事件」も久世の企画から生まれた。
『ムー一族』に抜擢された歌手は日吉ミミ、鼻にかかった高い声をバイブレーションを加えず、頭のてっぺんから出すような歌い方が特徴だった。もともとは「池和子」という名前で1967年にデビューしたが、まったく芽が出なかったので、1969年11月に改名して再デビューした。
どこか投げやりな調子で歌う個性的な唱法の「男と女のお話」がヒットし、人気歌手の仲間入りをはたしている。そこからは寺山修司が作詞した「ひとの一生かくれんぼ」、「たかが人生じゃないの」などで独特の存在感を放つ歌手になった。
「世迷い言」は、飲み屋のシーンで日吉ミミとフォークグループの若者によって明るい調子で歌われたが、大きなヒットにはならなかった。
阿久悠は「なぜか売れなかったが愛しい歌」という著書で、何気ない情景描写のなかに時代を刻み込むことができたと述べていた。
時計はアナログからデジタルに変った頃である。そして、今のデジタル表示は音もなく変わるが、この頃は、スコアボードのように、六十秒に一回パラリと文字が変わる方式であったのである。とにかく、元気元気、面白がる心、楽しませたい思い、日吉ミミとフォークグループ、阿久悠と中島みゆき、異種交配にも意欲的で、それは、売れる、もうかる以上の興奮だったのである。
なお1979年11月21日に発表された中島みゆきのセルフカバー・アルバム、『おかりなさい』には、少しだけ歌詞が異なる「世迷い言」が収録されている。
(注)久世光彦氏の発言は、加藤義彦著『「時間ですよ」を作った男 久世光彦のドラマ世界』(双葉社)からの引用です。また阿久悠氏の文章は、阿久 悠著『なぜか売れなかったぼくの愛しい歌』 (河出文庫) |からの引用です。
中島みゆき「おかりなさい」
「日吉ミミ ベスト」
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