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アリーヤの「アー・ユー・ザット・サムバディ?」を聴いてガレージロックを卒業したマルーン5

2018.09.04

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ザ・ストロークスの1stアルバム『イズ・ディス・イット』をきっかけに巻き起こった、2000年代前半のガレージロック・リバイバル。
そんな時代に、ガレージロックとは全く違うサウンドでデビューしたロックバンドがマルーン5だ。

彼らのデビュー・アルバム『ソングス・アバウト・ジェーン』は、2002年の6月25日にリリースされるも、はじめは中々売れなかった。
R&Bやファンク、ヒップホップの要素を取り入れたソウルフルなサウンドは、ガレージロックが注目されていた当時のロックシーンにおいて明らかに不利だった。
しかし地道にプロモーションを続けていくことで、次第にそのオリジナリティに溢れた音楽は知られていき、少しずつアルバムも売れ始めていく。
そしてリリースから2年以上が過ぎた2003年の8月、ついにビルボードチャートのトップ入りを果たしたのである。



彼らははじめからこのような音楽を目指していたわけではなかった。

マルーン5の前進バンドであるカーラズ・フラワーズが、ロサンゼルスで結成されたのは1994年のことだ。
1997年にはリプライズ・レコードと契約を果たし、1stシングル「ソープ・ディスコ」を発表する。
当時の彼らはストレートなガレージロック・バンドで、まだソウルフルな要素はなかった。



彼らの音楽を一変させる出来事が起きたのは1998年のことだ。
それはメンバーが、この年にリリースされたアリーヤの「アー・ユー・ザット・サムバディ?」を聴いたときのことだった。
マルーン5のフロントマン、アダム・レヴィーンはそのときについてこう振り返っている。

「その曲を聴いて、俺たちはそれぞれ思ったんだ。ああ、これまでになかった何かがあるって」


ニューヨーク出身のアリーヤは、人気絶頂だった2001年に飛行機の墜落事故により、22歳の若さでこの世を去ってしまった女性シンガーだ。

幼い頃からミュージカルなどで活躍していた彼女はその歌唱力を評価され、1994年にはシンガーとしてアルバム・デビューを果たす。
このときわずか15歳、プロデュースを手がけたのは、すでにヒットメーカーとして頭角を現していたR・ケリーだった。

続くセカンド・アルバムでは、ティンバランドをプロデュースに迎える。
のちにネリーやジャスティン・ティンバーレイクなど、数多くのアーティストを手がけ、ビルボードの首位に次々と楽曲を送り込むことになるティンバランドだが、当時はまだそれほど有名ではなかった。

そんなティンバランドをプロデュースに迎えたアリーヤは、次々とヒット曲を生み出していく。
マルーン5に衝撃を与えた「アー・ユー・ザット・サムバディ?」も、そのうちの一曲だ。
この曲についてアダム・レヴィーンは、こうもコメントしている。

「それまでに録音された中で、もっとも革新的な曲のひとつだった」


ティンバランドの生み出す、変則的なビートや独特のサウンドは、それまでの音楽にはなかった新鮮さに溢れていた。
そしてそのサウンドは大きく支持を集め、新たなテンプレートとして2000年以降に大流行することになる。



アリーヤの「アー・ユー・ザット・サムバディ?」の中に、自分たちのやりたい本当の音楽を見つけたアダムらカーラズ・フラワーズのメンバーたち。
ガレージロックを卒業し、ティンバランドのようなサウンドへと舵を切った彼らが、メンバーを増やしてマルーン5に改名するのは2001年のことだ。

彼らが「これまでにない何かがある」と感じた音楽はやがて時代の潮流となり、マルーン5はその波をロックバンドとしてはいち早く乗りこなしてみせるのだった。

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