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レナード・コーエンを偲んで〜ジョニ・ミッチェルとの“短い恋”そして“長い友情

2024.11.06

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2016年の11月7日に、82歳でこの世を去ったレナード・コーエン。晩年は、ガンでの闘病生活を続けていた。健康状態の悪化にも拘らず、死の間際まで精力的に音楽活動を続け、亡くなる前月の10月にリリースされたニューアルバム『You Want It Darker』の他にも、2つの音楽プロジェクトと詩集の刊行を予定していたという。


1934年にカナダのモントリオールで生まれたレナード・コーエンが、“詩人”としてのキャリアをスタートさせたのは大学時代だった。カナダの名門公立大学に通いながら詩を書き始める。在学中、意外なことに彼の成績は英文学が最悪で、逆に数学が得意だった。さらにディベートに関しての能力は、学内でも最高レベルだったという。

この頃から彼はギターを弾きながら詩の朗読を始めている。1956年、卒業を目前にした22歳で、初の詩集『Let Us Compare Mythologies(神話を生きる)』を出版。

しかし、地元モントリオールを中心とする狭い範囲での活躍に、どこか物足りなさを感じていた。そして、シンガー・ソングライターとしてのプロデビューを目指すべく、ビート文化の中心地ニューヨークへと旅立った。

コロンビア大学に入学すると、ビート族たちが集まるカフェに入り浸るようになったものの、最後までそこに馴染むことはなかった。名門出のお坊ちゃんを、筋金入りのビート族たちは受け入れてくれなかったのだ。

結局モントリオールに戻って、ジャズバンドをバックに“詩の朗読をする”という新しいスタイルに挑戦した。しかし、詩人としても朗読者としても、それ以上の活躍や収入は望めず、一時は父親の会社で工員として働く日々を過ごした。

その後、当時のガールフレンドと数年間、ギリシャのイドラ島という小さな島に住み着くようになる。そこは水道設備すら整っていない不便な島だったが、いつしか作家や画家、詩人たちが住み着き始め、後にはアレン・ギンズバーグやブリジッド・バルドー、ソフィア・ローレン、ついにはケネディー一族までもが訪れることになる有名人達の隠れ家的存在となった。

4作目の詩集『Parasites of Heaven』(1966年)に収められた「スザンヌ」が、同年11月にジュディ・コリンズによってカヴァーされる。

それがコロムビア・レコードでボブ・ディランのプロデューサーを務めていたジョン・ハモンドの目に止まり、アメリカでのコーエンのレコードデビューが決まる。

1967年、再びニューヨークヘ。そんなターニングポイントとなった時期に、同じカナダ出身のジョニ・ミッチェルと出会う。ミッチェルは、母国カナダ・トロントで歌手としての下積みを始め、21歳の時に結婚した夫と共にデトロイトに居を移し、コーエンと出会う1967年の初めに離婚し、単身ニューヨークに出てきたばかりの時期だった。

コーエンは彼女との出会った頃のことを、自伝にこう綴っている。

「あれは1967年の夏でした。ニューポート・フォーク・フェスティバルで出会った彼女とすぐにロマンティックな関係になりました。二人でカナダにある彼女の実家に行き、彼女の母親とも会いました。翌年には彼女がロサンゼルスのローレル・キャニオンに移ったので、僕らはそこで1ヶ月間一緒に暮らしました。」


コーエンは、当時まだ歌手としてアルバムを発表していなかったが、コリンズが彼の作った楽曲「Suzanne」を歌っていたので、ソングライターとしての知名度は上がり始めていた。

それはスザンヌという女性の特徴を描写しながら、官能的な体験を霊的探求へと発展させていく物語。詩人として深い感性を持つコーエンのロマンティックな世界観に、ミッチェルは強く惹かれたのだ。


「以前私がチャック・ミッチェルとの結婚を解消した時、彼は文学の学位を持っていたけれど、私は12年生で落第したきりで…彼は私のことを下に見ていたの。離婚した時、そうした不満がコンプレックスになっていたから、レナードと出会った時、私は彼から様々なものを学ぼうとしたわ。」


二人の恋愛関係は数ヶ月で終わったものの、コーエンから受けた美意識や作詞の技法への影響は、長い間続いていくこととなった。

ミッチェルはコーエンと過ごした時期を振り返って、こんな言葉を残している。

「彼は私の想像力を刺激し、ソングライティングの新たなスタンダードを示してくれたわ。彼は別れた後も、私をより高い音楽的ステージに先導し続けてくれる存在だったわ。」


コーエンもまた、ミッチェルとの関係について自伝にこう語っている。

「私たちの関係は友情が拡張したもので、その友情はいつまでも続くものである。」


2016年の11月7日、レナード・コーエンは82歳でこの世を去った。奇しくも11月7日は、50年前に短い恋の季節を過ごしたジョニ・ミッチェルの誕生日(当時73歳)だった。二人が出会い、そして別れて約50年間、その友情は続いていたという。

男と女の友情に関しては、「ある」「ありえない」と賛否あるだろうが、彼らの間には確かに存在したようだ。その友情を通じて、コーエンから受け取った芸術と愛が、自身の中にずっと生き続けていることを、ジョニ・ミッチェルはこう表現している。

「まるで聖なるワインのようなに、私の血の中を流れているあなた。」



ああ、あなたは私の血の中を流れる聖なるワイン
とても苦くて、とても甘い
あなたなら1ケースだって飲み干せるの
それでも私はちゃんと立っていられるわ
きっとこの足で立っていられる

あなたがこう言った時のこと、よく思い出すの
「愛とは魂にふれること」
そう、あなたはたしかに私の魂にふれた
だからあなたの一部がときどき歌になって
私の中からあふれ出す


<引用元・参考文献『レナード・コーエン伝』イラ・ブルース ナデル(著)大橋悦子(翻訳)/夏目書房>
<引用元・参考文献『ジョニ・ミッチェルという生き方 ありのままの私を愛して』ミッシェル・マーサー(著)中谷ななみ(翻訳)/スペースシャワーネットワーク>


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