1967年3月の初頭、ジョニ・ミッチェルは後にノーベル賞を受賞する作家、ソール・ベローの「Henderson the Rain King(雨の王ヘンダソン)」を読んでいた。
その文中に書かれていた一行から、彼女は強いインスピレーションを受け取ったという。
人が雲を見上げ、また見下ろせるようになった時代に、死ぬことなど恐れるに足らずだ
その本を最後まで読み終えることなく、すばやく書き上げた曲が「Both Sides Now」(青春の光と影)だ。
それから数日後、その曲をミッチェルはステージで歌った。
そしてどこのレコード会社とも契約がなかったミッチェルは、ニュー・ヨークのグリニッジ・ヴィレッジで歌っていた女性フォークシンガー、ジュディ・コリンズによって才能を見出されることになる。
その年の10月、ジュディは7枚目にして最大のヒットとなるアルバム、『Wildflowers』を発表している。
当時のフォーク・リバイバルの支柱的存在だったウディ・ガスリーや、ピート・シーガーのトラディショナル・ソングをメインにしながらも、新しいフォークの流れも取り入れていたアルバムであった。
そのなかにミッチェルの作品が2曲収録されたのだ。
そして1曲が「Both Sides Now」(青春の光と影)で、これはトップ10ヒットになった。
Judy Collins / Both Sides, Now
作者として有名になったミッチェルも、シンガー・ソングライターとしてデビューした。
1969年にリリースされた二作目のアルバム『Both Sides Now(青春の光と影)』に、自身の歌が収められている。
しかしミッチェルはデビューしたことで、思わぬ批判を受けることになった。
すべてのものごとや現象には、表と裏、光と影があるという哲学的な歌詞の作者が、あまりに若く見えたからだった。
「沢山の人に『あなたは一体人生の何を知ってるの?』って言われた。14歳ぐらいに見える20歳そこそこの若い娘が『人生を両面から眺めた』って口にしたことが、思いあがっているように見えたみたい」
「青春の光と影」は今、フランク・シナトラからカーリー・レイ・ジェプセンまで様々なアーティストにカヴァーされている。
もはや世界のスタンダード・ナンバーとなったのである。
Joni Mitchell / Both Sides, Now
(注)本コラムは2014年1月10日 に公開されました。