2016年の11月7日に、82歳でこの世を去ったレナード・コーエン。彼が78歳の時(亡くなる4年前)にリリースしたアルバム『Old Ideas』に収録されたていたのが、「Show Me The Place」だ。
晩年まで創作活動に情熱を燃やしたコーエンだったが、この歌は晩年に発表した作品の中でも白眉といえるだろう。
コーエンはユダヤ系カナダ人であり、父親はユダヤ教の指導者(ラビ)として有名な人物であったことから、幼い頃から厳格なユダヤ教徒として育った。
しかし、30代後半から仏教(臨済禅)を学び、62歳の時に僧侶になるという異色の経歴を持った。敬虔なユダヤ教徒として育ち、人生の後半を仏教徒として過ごしたコーエンだったが、この曲の歌詞を読み解く限り、いわゆる悟りの境地に辿り着くようなことはなかったのかもしれない。
コーエンが“詩人”としてのキャリアをスタートさせたのは大学時代だった。カナダの名門公立大学に通いながら詩を書き始めた。在学中、意外なことに彼の成績は英文学が最悪で、逆に数学が得意だった。さらにディベートに関しての能力は学内でも最高レベルだった。この頃からギターを弾きながら詩の朗読を始める。
1956年、卒業を目前にした22歳の時、初の詩集『Let Us Compare Mythologies』を出版。しかし、地元モントリオールを中心とする狭い範囲での活躍に物足りなさを感じていた。そして、シンガー・ソングライターとしてのプロデビューを目指し、ビート文化の中心地ニューヨークへと旅立った。
コロンビア大学に入学すると、ビート族たちが集まるカフェに入り浸るようになったものの、最後までそこに馴染むことはなかった。名門出のお坊ちゃんを、筋金入りのビート族たちは受け入れてくれなかったのだ。
結局モントリオールに戻り、ニューヨークで仕入れた“ジャズ・バンドをバックに詩の朗読をする”という新しいスタイルに挑戦した。しかし、詩人としても朗読者としても、それ以上の活躍や収入は望めず、一時は父親の会社で工員として働く日々を過ごした。
そして25歳になったある日、再び旅に出る決意を固め、当時ガールフレンドだったマリアンヌを連れて、そのまま数年間ギリシャのイドラ島という小さな島に住み着くようになる。
そこは水道設備すら整っていない不便な島だったが、いつしか作家や画家、詩人たちが住み着き始め、後にはアレン・ギンズバーグやブリジッド・バルドー、ソフィア・ローレン、ついにはケネディー一族までもが訪れることになる有名人達の隠れ家的存在となった。
いち早く島の魅力に惹かれたコーエンは、古い家を買って創作の拠点とした。そして、この島で「Bird On The Wire(電線の鳥)」を作った。
窓の外を眺めていると一本の電線に一羽の鳥が留っているのが目に入って思いついたというこの歌は、片思いに苦しむ孤独な男の心情が綴られている。そこからは恋愛事情だけではなく、組織や社会に縛られず“自由になりたい”と願う、普遍的なテーマも読み取ることができる。
電線の上の一羽の鳥のように
真夜中の聖歌隊の酔っぱらいのように
俺は自分なりのやり方で自由になろうとした
生まれ育ったカナダからニューヨークへ。そしてロンドン、ギリシャの島イドラ、地上の楽園キューバ…再びニューヨーク(チェルシーホテル)へと“自分の居場所”を探し続けたコーエン。
自由を求め放浪し、何人もの女性と恋に落ち、やがて禅に傾倒していった彼が最後まで求めていた“Place”とは何だったのだろう?
もしかすると、今“その場所”にようやく辿り着いたのかもしれない。
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