グレン・ミラー、ベニー・グッドマン、デューク・エリントンと並び、ビッグバンド界を代表するバンドリーダー/ピアニストとしてジャズシーンに大きな功績を残した男、カウント・ベイシー。
ジャズ界には、キング(王様)・オリヴァー、ファッツ(太った)・ウォーラー、デューク(公爵)・エリントン、ディジー(くらくらする)・ガレスピーなど、ニックネームを公式名称として活動するミュージシャンが多い中、彼もまたカウント(Count)は伯爵を意味する愛称で親しまれていた。
彼が率いたビッグバンドの演奏は、その圧倒的なスウィング感と(あくまでもわかりやすく)洗練された音楽構成に大きな特徴があった。
そんな理由から、後に多くのジャズバンドが彼の楽団の演奏スタイルをお手本にしたと言われている。戦前〜戦後と大衆を活気づけた日本のジャズバンドにも多大な影響を与えた存在だった。
1904年8月21日、ベイシーはニュージャージー州の小都市レッドバンクで生まれた。二十歳を迎えると、母親から教わったピアノの腕を生かし、ブルース歌手の伴奏とソロ演奏を主にプロ活動をスタートさせた。
程なくして、たまたま仕事で訪れたミズーリ州カンザスシティで、多くのジャズメンと出会う。まるで運命に導かれるように、ウォルター・ペイジ率いるブルー・デビルズに参加。
1929年、25歳の時にベニー・モーテン楽団に加わる。その6年後、リーダーのベニー・モーテンが亡くなると、自らがバンドリーダーとなりジャズオーケストラを結成。この頃から“カウント(伯爵)”の愛称で呼ばれるようになる。
その目覚ましい活躍と才能に目をつけたベニー・グッドマンと、その友人でジャズ評論家のジョン・ハモンドに評価されたことで一躍注目を集める存在となり、その後も大きな成功をおさめる。
途中、わずかな中断期間はあったものの、半世紀近くも一流ミュージシャンを擁する自分のビッグバンドを率いて世界を回りつづける人生を送る。
そして、1984年4月26日の早朝、膵臓癌を患っていたベイシーは、フロリダ州のハリウッドにある病院で静かに息を引き取った。享年79。
──ジャズ愛好家としても知られる作家の村上春樹は、著書の中でカウント・ベイシーについてこんな風に綴っている。
「僕が一番好きなのは『ベイシー・イン・ロンドン』だ。カウント・ベイシーにはいくつかの優れたライブ音源があるけれど、楽しいという点ではこのレコードに尽きる。古いジャズミュージシャンの常套(じょうとう)的表現を借りれば“身体に悪いくらい”スイングする演奏だ。難しいことは言わずに、ビールの缶を片手にソファーに沈み込み、ステレオのボリュームを上げて、音の洪水の中に身をまかせれば、この世はもう天国である」
<参考文献『音楽の365日話題事典』朝川博/水島昭男(東京堂出版)>
<引用元『ポートレイト・イン・ジャズ』(新潮文庫)/村上春樹・和田誠著>
ベイシー・イン・ロンドン
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