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マッカーサー・パーク〜アメリカを代表する作曲家ジミー・ウェッブの秀作

2020.08.15

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1945年8月15日、日本はポツダム宣言を受諾し無条件降伏した。
その内容は…武装解除を行ったと言うだけで、講和条約が締結された訳ではないので厳密に言えば終戦ではなく停戦だった。
日本が本当に終戦を迎えたのは、サンフランシスコ講和条約が締結された1952年4月ということになる。
日本は1945年8月15日から約7年近くもの間、アメリカを主とする連合国の占領下に置かれ、様々な政策を強制的に強いられることとなる。
1945年8月30日、日本陸軍厚木航空基地に乗って降り立った男がいた。
彼の名はダグラス・マッカーサー。
敗戦後、日本を統治したGHQ(連合国最高司令官総司令部)の総司令官となった人物である。

今日は彼の名前が付けられた公園をタイトルにした楽曲をご紹介します。
作詞作曲したのは、バート・バカラックと並んでアメリカを代表する作曲家として知られるジミー・ウェッブ。
1967年にフィフス・ディメンションの「Up Up and Away(ビートでジャンプ)」とグレン・キャンベルの「By The Time I Get To Phoenix(恋はフェニックス)」でグラミー賞を独占し、天才ソングライターとして一躍時の人となったことで知られている。
奇しくも8月15日は、彼の誕生日でもある。
彼が紡いだ「MacArthur Park」という歌には、どんな想いが込められているのだろう?
その公園はアメリカのロサンゼルスの中心部に存在するという…



春は僕らを待ってはくれなかった
僕らが踊りながら追いかけていた時には
一歩前を走っていたはずなのに…


マッカーサー・パークは夕闇に溶けていく
覆った緑の砂糖が流れ落ちて消えていく


ダウンタウンとハリウッドの間に位置するその公園は、もともと“ウェストレイク・パーク”という名前だった。
第二次大戦後にダグラス・マッカーサーのモニュメントが建てられたのを機に改名されたという。
1968年、ジミー・ウェッブはこの公園を舞台に自身が経験した失恋の想い出を歌にした。
彼はリンダ・ロンシュタットの従妹にあたる女性(スーザン)と交際していた。
当時、彼女は公園の向かいにあった生命保険会社で働いていて、二人は公園で偶然出会ったのだ。
毎日のようにランチ一緒に食べ、公園を歩きながら語り合ったという。
一つ一つの単語や文法はシンプルなのだが、彼の書く歌詞はとても抽象的で難解だ。
オクラホマのバプティスト派(プロテスタント最大の教派)の伝道師の息子として生まれた彼は、十代の頃から父親の教会でオルガンを弾き、讃美歌を編曲していた。
宗教曲の作曲や編曲で培った経験をもとに、彼は文学的で情景が目に浮かぶ視覚的で美しい歌詞を書くようになったという。

黄色い綿の波のようなドレスを思い出す
地面の上 君のひざの下

マッカーサー・パークは夕闇に溶けていく
覆った緑の砂糖が流れ落ちて消えていく


約7分半にもおよぶこの曲を、当時アイリッシュ系俳優のリチャード・ハリスが唄い、全米チャートで2位を記録する。
ヒット曲といえば3分半くらいが普通だった時代、倍の長さの曲が売れたことは実に稀な出来事だった。
その10年後の1978年には、当時ディスコクイーンと呼ばれていたドナ・サマーがカヴァーし、全米1位に輝いている。



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