老舗のギター・ショップ「Norman’s Rare Guitars」をロサンゼルスで営むノーマン・ハリスが書き下ろした自伝には、彼から直にギターを買っていたジョージ・ハリスン、ボブ・ディラン、ジョン・フォガティ、そしてもっとも多くの取引をしたザ・バンドのロビー・ロバートソンなどとの出会いから、様々なエピソードが詳細に描かれていて読み応えがある。
その中でも特に面白かったのは、映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』に、赤いギブソンの「ES-345TDC」を貸し出した時のエピソードだ。
1985年から30年前の過去に旅立つことになった主人公、マイケル・J・フォックスが扮するマーティ・マクフライが、指を負傷したギタリストの代理として、ダンスパーティのバンドでエレキギターを演奏しながらロックンロールを歌うシーンが出てくる。
その曲はチャック・ベリーの代表曲「ジョニー・B ・グッド」だった。当時は映画に刺激されて、世界中で多くの若者が何度もビデオを巻き戻ししながら、「ジョニー・B ・グッド」を完コピしていたという。
ところが映画をよく見ると、マーティが使っていたギターは、1960年代になってからに発売されたトレモロ・アーム付きの「ES-345TDC」だった。
ノーマンがワーナー・ブラザーズ映画の小道具のスタッフから、「1955年にタイムスリップする映画に取り組んでいるので楽器を貸してほしい」という相談を受けたのは1984年のこと。
映画に求められていたのは、少しだけ「近未来的」に映るギターだった。
すぐに私の中でひらめいたのが、ノブの仕様やP-90ピックアップの斬新さがうってつけだと思える「ギブソンES-5スイッチマスター」だった。私は小道具版の責任者にそのギターを見せた。彼はそのクールで個性的なデザインを気に入り、抱えていたイメージにパーフェクトに合うと判断した。
その時点で「ギブソンES-5スイッチマスター」には2100ドルの値札がついてたが、その責任者は買取ではなく週300ドルでのレンタルを要求してきた。
しかし、レンタルされた「ギブソンES-5スイッチマスター」は、そのまま9週間も経過してしまった。経費がかさばることを心配したノーマンは、そろそろ買い取ったほうが得だろうと提案したという。
ところが「映画には豊富な予算があるので心配は無用だ」と、小道具の責任者はその提案を軽く受け流した。
それから10週間が過ぎると、小道具係が「10週間分のレンタルを払うので違うギターを探してくれ」と言ってきた。
ワミー・バーもしくはトレモロ・アームのついた、赤いギターを使いたいという要望だった。私はいずれの要望も1955年という時代考証には合わないという事実を彼に突きつけた。しかし、美術監督はそういったルールなどお構いなしの人だから、とにかく私がどんな種類のワミー・バー付きの赤いギターを在庫として持っているのか教えてくれ、と彼は言った。そこで私はギターを何本か挙げた。グレッチ6120を1本と、グレッチ・レッド・ジェット・シリーズのギターを1本と、最後にビグスビーのトレモロ・アームが付いた60年代初頭のギブソンES-345TDCを提案した。
ノーマンはハリウッドとの映画の仕事で、1975年に『ウッディ・ガスリー/わが心のふるさと』の時に時代考証に合った適正な楽器を提供して、各シーンに真実味を持たせて大きな貢献をした経験があった。
1955年を描く映画なのに、その時は存在していない楽器を使うことに対して、ノーマンにはどうしても抵抗感がつきまとった。しかし、3本のギターの写真を見た美術監督は、ギブソンの「ES-345TDC」を撮影に使うことを決めた。
ノーマンが時代考証に合わないギターだと念押ししても、美術監督は考えを譲ることはなかった。
そして、そのギターもまた、4週間ほど小道具のトラックに積まれたまま出番を待つことになった。かさむ一方のレンタル料はすでにギターの本体価格の数倍に達していたが、彼らは一向に気にせずに仕事を進めていた。
だから映画がクランクアップしたとき、ノーマンはとても正気の沙汰ではないような金額をレンタル料として受け取ることになった。
それから3週間後にまたノーマンに連絡が入り、プロモーション資料と接写ショットのためにもう一度、同じギターを貸してほしいという申し出があった。さらに3週間、ギターはレンタルされた。
まともな神経では考えられないことだったが、それで誰もが満足して仕事はうまく進み、終始丸く収まったという。
映画は1985年7月3日に公開されて世界的な大ヒットを記録し、1989年には続編も製作されて最終的に3部作となった。そして再びノーマンのもとに「もう一度ギターを貸してほしい」という連絡があった。
ギブソン「ES-345TDC」と映画は、もはや切っても切れない関係となっていたのだ。
ノーマンが得た教訓。
それは表現の自由を謳歌した『バック・トゥー・ザ・フューチャー』のようなエンターテイメント映画では、時代考証を多少無視したギターにそれほど目くじらを立てる必要はないということだった。それよりも見た目のカッコ良さの方が、ほんとうに映画に貢献できるということを学んだ。
それともう一つ、ハリウッドとの仕事では物品を貸し出すだけで、相当に甘い汁を吸うことができるということも知ることができたという。
・参照コラム『バック・トゥ・ザ・フューチャー〜1955年のあのパーティでロックの歴史が変わった』
(注)ノーマン・ハリスの言葉はすべて、ノーマン・ハリス著『ビンテージ・ギターをビジネスにした男 ノーマン・ハリス自伝』からの引用です。
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